藤原基成
知略88武力42優雅76勇名19菩提69加護71無常38弓術34
義朝と組んで平治の乱を起こし敗死した藤原信頼の異母兄。信頼による武士掌握策の一環として、陸奥守・鎮守府将軍として奥州に下向。当時の奥州藤原氏の当主・基衡と親交を深め、基衡の子・秀衡に娘を嫁がせる。後に京に戻るが、平治の乱で敗れた弟に縁座しての流罪 と言うかたちで再び奥州へ。以後、奥州藤原氏の外戚かつ政治顧問として、重きを置くようになる。
全成・義円・義経の母である常盤御前の再婚相手は、基成の従兄弟。義経と奥州藤原氏のコネクション形成には、基成も関わっていたと予想されている。
秀衡の正室となった基成の娘は嫡男となる泰衡を産み、秀衡が亡くなると、その遺言に従い、秀衡の庶出の長男・国衡と再婚。国衡は20代半ばから30代、基成の娘は少なく見積もっても50代。秀衡の生前から対立していた泰衡と国衡を義理の親子関係にすることで和合させようという策と見られていて、策が当たったかどうかは分からないが、国衡は最期まで泰衡を支え続けた。
鎌倉からの義経追討令は、泰衡と基成に当てて出されている。最終的に泰衡は義経を討つことになるが、それに関して基成がどう考えていたかは不明。泰衡が身内でも粛清しまくっていることを考えると、少なくても大っぴらに反対したりはしなかったのだろうと。
平泉滅亡に際して、基成は息子たちとともに頼朝に降伏。後に京に戻されるが、それ以後は消息不明。
ステータス。いかにも公卿っぽい数値なのだけれども、スキルとして和歌も音楽も持ち合わせてないあたりが、他の公卿との違いだろうか。奥州に肩までつかってしまったということか。
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