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2022年05月22日23:07

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ロスト・ドーター(The Lost Daughter)

 「クレイジー・ハート」などの女優マギー・ギレンホールが長編監督デビューを果たしたヒューマンドラマ。エレナ・フェッランテの小説を基にギレンホール監督が自ら脚本を手がけ、2021年・第78回ベネチア国際映画祭で最優秀脚本賞を受賞した。海辺の町へバカンスにやって来た中年女性レイダは、ビーチで見かけた若い母親ニーナと幼い娘の姿に目を奪われる。母娘の関係に動揺したレイダは、かつて自分が母親になったばかりで恐怖と混乱に満ちていた頃の記憶に押しつぶされそうになり、心の中の不気味な世界へと迷い込んでいく。出演は「女王陛下のお気に入り」のオリビア・コールマン、「フィフティ・シェイズ」シリーズのダコタ・ジョンソン、「ジュディ 虹の彼方に」のジェシー・バックリー。第94回アカデミー賞ではコールマンの主演女優賞、バックリーの助演女優賞と、脚色賞の計3部門にノミネートされた。Netflixで2021年12月31日から配信。(映画.comより)





<2022年5月19日 Netflix鑑賞>

 あまりに評判がよかったので鑑賞。去年の12月から公開されていたようですね、実にぼんやりしていました。監督のマギー・ギレンホールは大好きな女優さんで、「セクレタリー」が一番好きです。ジェームズ・スペンダーがまだ盛んに知的でハンサムな役をこなしていた頃。わりといつもいいところのボンの役でしたね、彼は。個人的には「クレイジー・ハート」より「セクレタリー」や「ヒステリア」「ドニーダーコ」系のマギーが好きです。

 さて、今作品です。今はもう女性に対して「女性であり、母であり、仕事も持ち」などと言う陳腐な表現はしない時代なんでしょうが、それでもやはり、深く考えさせられる内容でした。才能があって、いろんなことができる女性は特にね。この作品では、主人公(オリビア・コールマン)の母親は詳しく描かれなかったけれど、関係はよくなかったことが言外に匂わされていました。母と娘って、本当に難しい。主人公は多分、自分がイヤな思いをした分、娘には同じ思いをさせまいとがんばってしまっていたのでしょう。また女の子二人の歳が接近しているんです。だから、上の子は赤ちゃんに妬くし、意地悪なこともする。生まれついての性格もあるんだろうけれど、「ママ、ママ」とやたらに言うこの家の女の子たち、ちょっと難しいように思いました。日本とまた価値観も違うのだろうけれど、そんなにしんどければ、いっそ保育園にでも入れてプロにまかせ、外に仕事に出るという選択肢はなかったのかな、とも思いました。もちろん、家で翻訳というのも好きだからやっていたのだろうけれど。

 とにかく”同じ思いをさせない”という信念においては、いろんな選択肢があると思うのですが、私自身は、あまりに両親がイヤすぎて、こと母に関しては「女性同士は共存できない」という結論を出していたので、子供をそもそも作らなかった。しかし、排卵日がずれていたとか、そういう理由で4年目にして女の子を授かってしまい、一時は堕胎も考えるほどでしたが、そうもいかず出産。うまく愛せないのはわかっていたので、貧乏だったこともあって産後8週でフルタイムに復帰。「私といるよりプロの保母さんといるほうが、この子にとって幸せ」との信念からです。絶対に普通ではなかったと思うし、自分は「バカ母」だとわかっていました。それでも、とにかく同じ轍を踏ませたくない一心でなるべく関わらないようにして生きてきました。「どんなに罵られても、非は私にあると認める」と認識して。そういう点からも、主人公が「私にはこれ以上できない」と、家を出てしまった気持ちはわかります、とても。

 それを深く悔いている主人公は、社会的に”教授”として成功していても、ずっと心に傷を抱かえてしまっています。かわいそうに。女性でさえなければ。彼女のセリフからしかわからないのですが、3年くらいして戻ったようです。今現在の娘たちの様子は映らないので、まったくわからないのですが、聞かれると「今は25歳と23歳なの」「孫はいない」ときちんと答えているし、その後は関係が修復できたということかな、と私は思っていました(解釈間違っているかもしれません)。それでも、これほど悔やんでトラウマになるということなのですね、たった3年と言えども。

 かなり個人的な話で申し訳ないのですが、私自身はその後、娘が6歳になった時「兄弟が欲しい」と望んだこともあって、2人目にトライする(身体自体もかなり疲弊していたので、少し休みたかったこともある)も「2人目不妊」。流産・不育を繰り返し、産む・産まないの意志は自分で決めれると思っていたことが、いかに傲慢だったかを思い知ることになるのです。

 この映画では、主人公が小さい女の子の人形を盗んでしまうシーンがあるのですが、ここがちょっと理解しづらいところでした。もちろん、自分も持っていたし、娘たちも持っていて、いろいろあったことは描かれるのですが、でももう大人だし、よその子のだし。しかもその少女は、人形がなくなったことですごく落ち込んでいたのに。

 でもそういう心理もあるのかもしれませんね。自分は一通りの人生しか歩んでないし、経験してないことはわからないですから。でもその割には、少女の母親(ダコタ・ジョンソン)に「出来心だったの」といって突然返したり。不思議です。

 ラストの電話は、現実でしょうか、幻でしょうか。私にはわかりません。でも、とてもとても印象に残る映画でした。マギーの次回作、期待します。
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