藤原頼衡
知略67武力66優雅58勇名61菩提69加護64無常56弓術71 貴種
藤原秀衡の6男。「義経を担いで鎌倉と対抗しろ」という秀衡の遺言に背き、義経を殺して鎌倉と融和しようとした2男泰衡に反対したため、同じく泰衡に反対した3男忠衡・5男通衡とともに泰衡に殺害された…ということになっているのだけれども、通衡と頼衡は信頼できる資料が極めて少ないため、伝承のみで実在しない人物ではないかとも言われている。
頼衡は外ヶ浜まで逃げ延びて、そこで浪岡氏の祖となったという伝承もある。県民としては「浪岡氏は北畠顕家の弟・顕信の家系」という認識だったのだけれども、その伝承では「まず最初に頼衡が浪岡氏を名乗って土着し、その数代後に一族の女性が北畠顕家との間に子供を授かったため、その子が浪岡氏を継いだ」ということになっているらしい。
義時の代から北条の家領となっている外ヶ浜に、奥州藤原氏の子孫が土着化できるとも思えないのだけれども、当時の外ヶ浜は日本の最果て。「9本足の馬が生まれたけれど、気味が悪いので、とりあえず外ヶ浜に流す」とか「外ヶ浜で怪獣が発見される」みたいなワンダーランド。何が起きてもおかしくないというところはあるかもしれない。
ステータス。どれも55〜70で収まるというバランス型…なのだけれども、一部の伝承を元に享年16歳説を採ると シナリオ1においての頼衡の年齢は7歳。同じく低年齢である曽我兄弟や海野幸氏が極端に弱体化していることを考えると、頼衡は破格のステータスと言える。そのまま成長していれば…というロマン枠扱いだろうか。
※インデックス
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1981626821&owner_id=16600073
ちなみに今回検索するまで、信長の野望で浪岡氏が大名になっていること知らなかった。浪岡どころか、津軽・南部・安東・戸沢まで省略されていた武将風雲録時代を思えば、隔世の感がある。
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