mixiユーザー(id:67705106)

2022年05月04日06:33

31 view

2022/05/03 学習記録

■■【 学習記録フォーマット 】■■
  
【 名前: 萩原 隆司( 初参加日: 2021年1月16日 ) 】
 ≪ビジョン(人生で実現させる大目標 )≫
 ✿自分が起こした事業で、周りに良い影響を与える
 ≪中期目標(3〜5年の具体的な達成目標)≫
 ✿1,仕事を通じ、アフリカでの国際援助を実現する
 ✿2,技術的な打ち合わせを英語で問題なく行えるようになる
 ✿3,1実現後の目標を固め、準備をする

❶❷海外渡航中は一旦おやすみ
❸自由欄

本日はダルエスサラーム経由でザンジバル島に入りました。
二泊三日の予定で観光し、その後はダルエスサラームに一泊し、ルワンダのキガリに向かう予定となってます。

ザンジバル島は、当初はポルトガル領で、後にオマーン帝国による支配、イギリスによる支配という流れを経て、独立、タンガニーカ(タンザニアの大陸部分)と合併し、タンザニア連合共和国となったというのが大まかな歴史です。

QUEENのフレディーマーキュリーの生まれの地であるこのザンジバル島は、市内にフレディーマーキュリーの博物館があります。QUEEN結構好きなので、行ってみましたが、15分で見終わるレベルで8USDも取られてなかなかがっかりでした笑

その後に、世界遺産であるストーンタウンのツアーに参加しました。説明していただいた人はザンジバル生まれのザンジバル育ちのZanzibarianで、イスラム教の方でいろんなことを教えていただきました。

一般的な歴史だと、アラブ(イスラム教)の人たちが奴隷制度を強いていて、イギリスがきて奴隷が救われたというような表現がされています。当時の奴隷の様子を現した石像などもスイス人によって作られたりしていて、一見、アラブの人たちはひどかったなどの印象を受けます。

そのガイドの方は、アラブの人たちは奴隷を扱うことはなかった、実際は救出ではなくイギリスがただ奴隷を得ただけだという説明をしてくれました。
確かに展示されていた資料を見ると、イギリスが黒人を救ったとされる写真はたくさんあるのに、アラブの人たちが奴隷を扱っているシーンは全てイラストになっていて、不思議なことにアラブ人が映っている写真はひとつもありませんでした。

アフガニスタン、シリアなどイスラム教に対する関心は低く、世界中が関与してこなかったのに、ウクライナとロシアの話になれば、西洋諸国はこぞって注目して、支援をすると。
博物館自体も、ザンジバルの人(イスラム)が建設に携わったわけではなく、常にキリスト教の西洋諸国の人々だと。

最初は疑ってはいましたが、資料を見ていくと、確かにミスリーディングな資料の見せ方をしていて、ガイドの説明に逆に合点が行きました。

イギリスはケニアの独立運動(maomao)に対しての仕打ちも相当酷かったですが、その事実を黙殺しようとしていました。アラブが奴隷制を敷いていなかったけど、アラブのせいにしてしまえばいいと考えたのは結構合点がいきました。
支配していたアラブ人の写真がひとつもないのは、かなり不思議でした。

博物館もヨーロッパが作ったもので、ザンジバルの人の観点が抜けているそうで、どの博物館もそのまま鵜呑みにしないのが理想なのだなと感じました。(難しいですね。。。)

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する