mixiユーザー(id:58031139)

2022年04月28日15:51

80 view

文化盗用に見られる日本社会の忖度

皆さんは「文化盗用」という言葉をご存じでしょうか。

有名なところはアリアナ・グランデさんが自身のヒット曲のタイトル「7 rings(7つの指輪)」のつもりで「七輪」と彫ったが、文化盗用と批判され消去。

「(日本語の)レッスンを受けるのも辞めるわ」「もう日本語が使用されているものは私のサイトから全て削除したわ」と逆に日本嫌いに。

しかし日本では文化の盗用と批判する声はほとんどなく、「それ、間違い(笑)」という反応が多かった。それもバカにしたわけではなく、微笑ましく間違いを指摘しただけ。

また「日本文化を低く見ていて、人種差別的だ!」そんな批判を欧米で浴びたのは、アヴリル・ラヴィーンが日本の「カワイイ文化」をテーマとして作成したミュージックビデオ。

しかしながら、これらの問題はどれも、不思議なことに、日本ではニュースにはならなりませんでした。

つまり、日本で非難の起こらない「日本への侮辱だ」という意見は、一体日本人以外の誰が発して何のために批判をしているのでしょうか。


この前の日記に、ウクライナで起こっている非道について、私の性嗜好と関連付けて検証したところ、「ウクライナの人たちを傷つけるな」との批判を頂き、その方以外の足跡もつき、他コミュに影響で出ているようです。

そのことと文化盗用の関連性は「当事者でもない人間が、当事者の気持ちを忖度して非難する」ことへの疑問です。

上の文化盗用のように、「当人たちが気にしない」ことを、赤の他人がさも当事者のように非難する様は、本来の気持ちからかけ離れた意味のない、というより害悪のある行為のように感じます。


逆のケースを挙げます。
アメリカのタレント、キム・カーダシアン・ウェストさんが25日に発表した自身の矯正下着のブランド名に「キモノ」という名称を使用し、日本の伝統的な着物を侮辱しているとして物議を醸している、というもの。

これが上と違うのは、日本人自身が「侮辱だ」と声を上げていることです。

これについては忖度でもなく、本人が直接「嫌だ」というからには、それは真摯に配慮すべきものだと思います。

本人らがそう発しなくても、実際にそうであろうと思うことならばくみ上げなくてはならないものですが、アリアナ氏のケースのように「そうは思わない」というのに取り下げられることがあれば「日本が嫌い」ということになりかねません。


二つのことを考えれば、「日本やウクライナ」のような受動的立場本人でない人間が勝手に「そう思う」というだけで過剰な非難をすることは、実に自重しなければならない「勘違いした正義」であると思います。

それが「断定的な非難」ではなく「受動的立場の人たちがそう思ってるかもしれないよ」くらいとし、その判断を行為者に委ねる程度のことが望ましいのではないかと私は思います。


今日本では、その「勘違いした正義」が横行し、さも正しいことのように闊歩し、海女さんや漫画の女性キャラが非難されています。

CMや企画が「一部の人たちが不快に感じる」という、これまたその一部でもない人たちの根拠のない忖度による非難かもしれません。

行き過ぎた非難は「忖度の暴力」ともいうべきものと思われ、ことなかれに取り下げるべきものではないと感じてします。

「ロシア語掲示を隠す」というのは罪のないロシア人へ不利益なので撤回すべきと思いますが、そういう根拠のある分別を図りたいものだと思っています。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する