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2022年04月21日13:54

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「ザッキーの雑記」 お袋の命日と藤の花 ❀

今日、4月21日は、お袋の命日です。

そして、お向かいさんの家の藤の花が満開です。

ユーチューブで無料で「お向かいさんの家の藤の花」

の動画が無料で見れますよ。」
https://www.youtube.com/watch?v=bE834aDmc54
...

毎年、今頃、この季節にお向かいさんの藤の花を観る度に

お袋が亡くなった日の事を特に鮮明に思い出します。

忘れもしない 1999年の4月21日。23年前。

僕が仕事から帰ってきて車を家の駐車場に入れようと

思ったら家族総動員癌で闘病中の親父と家族総動員が道の真ん中

に立っていて、「なんと、まぁ〜」何事だ!!。と思ったら

たった今、連絡が入って「お母さんが買い物先の店で倒れて

救急車で病院に運ばれたから大至急、皆んなを乗せて

病院に向かって」と言われて僕は頭の中が真っ白になりました。

実は僕は詰まらない事でお袋とケンカをしていて一週間くらい、

口を聞いていなかったのです。朝もトイレの前で会った時も

無視をしていました。まさか、あんなにピンピンしていたので

夕方に死んでしまうとも知れずに・・・。

病院に駆けつけた時は意識不明の重体で、その日はインターンの

見習いの先生しか居なくて必死で心臓マッサージをしていました

が後日、分かった事ですが「誤診」でした。

「心筋梗塞」では無くて「くも真っ赤出血」でした。

脳外科で手術をすれば助かったかもしれなかったのです。

「病院を訴えれば一千万円くらいは貰えたかも

知れないのに・・・。」と、

後日、友人や知人に言われましたが、僕はショックが大きすぎて

それどころでは、ありませんでした。

だいぶ暖かくなり、お向かいさんの家の藤の花も咲いたので、

正に今日、お袋と仲直りしょうと思っていた矢先に・・・。

僕は涙が止まりませんでした。

僕が泣いたのはあれが最後です。

親父は2年後に咽頭癌で亡くなりましたが癌だったので

覚悟が出来ていました。

親父は咽頭癌で、声帯を摘出していた為、

「俺は声が出せ無くて皆んなに挨拶が出来無いので

お母さんの通夜、告別式の喪主はお前がやってくれ」

と親父が筆記で書きました。

そして2年後に親父が癌で亡くなった時も

僕が喪主をやりました。

葬儀屋さんに「お若いのに2度も喪主をされるなんて、

お気の毒で可哀想で珍しいですね。一生に1度も喪主を

やらないで亡くなって行く方々が多いのに・・・」

と言われました。

生前、お袋が言っていた言葉が忘れられません。

「私やお父さんが死んでも お前はしっかり

生きなくてはダメだよ。死んだ人間よりも

生きている人間の方が大事なんだからね」と・・・。

僕は一生、無宗教者を貫くつもりなので「アーメン」も

「南無妙法蓮華経」も「南無阿弥陀仏」も唱えません。

でも毎日、朝晩、仏壇の水を取り替えて お線香をあげて

「ありがとうございます。感謝致します」と言うだけです。

お袋、親父、又、今年もお向かいさんの藤の花が咲いたよ。

僕は大丈夫だよ。元気だよ。
    
    石崎法希(ザッキー) 拝
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