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2022年03月30日23:44

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ウィル・スミス擁護は被害者意識に凝り固まった感情論に過ぎない

■アカデミー賞“ビンタ”事件、欧米では日本と真逆の反応「最も恥ずべき」「見るにたえない絵面」
(女子SPA! - 03月30日 16:11)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=156&from=diary&id=6905032

 クリス・ロック×ウィル・スミスの殴打事件、欧米と日本とでの反応の差が歴然、という記事。実際にアメリカで「どちらがより責任が重いか」というアンケートを取ったところ、「ウィル・スミスが悪い」と答えた人が60%を超えたそうである。
 日本で同じアンケートを取ったら結果がどうなるか、ワイドショーあたりでやるかなと思ったが、今のところ具体的なデータを取ったという話は聞かない。ただ、この記事にもあるとおり、各テレビ局の司会者や各コメンテーターは、軒並みウィル・スミスに同情的である。
 この記事のコメント欄の書き込みも同様に、アメリカ人の反応を非難するものばかりだから、日本人の一般的な感覚としては、「ウィル・スミスが暴力を振るったことはよくないが、そもそも病気や容姿をネタにからかったクリス・ロックが悪い」というのが普通なのだろう。
 でも、それが本当に「普通」でいいの? 私や妻の感想は「クリス・ロックのジョークも誉められたものではないが、暴力を振るったウィル・スミスがやっぱり一番よくない」という「欧米型」なものだったから、この多くの日本人の反応には困惑しているのである。なして、みなさんそげん、ウィル・スミスに肩入れしとらすとね?

 ネットの反応を見ると、「もしも自分がウィル・スミスの立場になったら」と前置きしてスミス擁護論に走る人が少なくない。確かにねえ、私だって、妻をからかわれたら腹は立つよ。特にうちの妻は抗癌剤治療の副作用で、頭髪がきれいサッパリ抜けてたから、他人から「つるぴかはげまるくんみたいだねえ」なんて言われたら、まあ苦笑いするしかない。
 でも「苦笑いするだけ」だよ。相手の口調によっては「うちのニョウボをバカにするな」くらいのことは言うかもしれないが、まずもって殴りはしない。ウィル・スミスを擁護してる人たちはどうなんだろうか。やっぱり同じように殴りに行くのだろうか? そうでなければ、辻褄が合わないはずなんだけれど。「私も同じことをされたら、相手を殴ってしまうかもしれない」、そう考えたからこそ、ウィル・スミスに同情的な発言をすることになったのではないか。

 でも、これって物凄く怖いことだよ? いくらクリス・ロックのジョークがジェイダさんを中傷するものだったとしても、所詮、それは「言葉」である。それに対して「暴力」に訴えることが果たして許されることなのか。
 こう言うと、「言葉だって立派な暴力になり得る」と主張する向きが必ず現れるが、それはただの詭弁だ。言葉はどこまで行っても言葉である。相手の心をどんなに傷つけたとしても(場合によっては相手を自殺にまで追い込むことになったとしても)、法的に裁かれることはほぼない。言葉と、相手の被害とを、明確に結びつける因果関係を証明することが非常に困難だからだ。対して、「暴力」は立派な「刑事罰」の対象だ。加害者と被害者の関係ははっきりしていて揺るがせようがない。
 日本でも欧米でもその点に差異はないはずなのに、なぜ日本人の多くが「ウィル・スミスの味方」一辺倒になってしまうのだろうか。これが「感情論」でなくて何なのだろうか。日本人に「法治国家」に住んでいるという自覚が足りない、そう言わざるを得ないのではないか。

 日本人が「場合によっては暴力の行使もやむを得ない」と考えがちなのは、まさしく日本が未だに「暴力容認」の風土で暮らしているからだろう。親や教師による「体罰」は、「度を超さなければ」、教育としてあり得ると考える人間は決して少なくはない。
 しかし、ウィル・スミス自身が「(自分は)一線を越えた」と発言しているのを、多くの日本人が聞き逃しているように思えてならない。言葉に対して言葉で応じるのならともかく、暴力に訴えることは「度を超している」と加害者本人が認めているのだ。なぜそれを無視して彼を擁護しなければならないのか? その心情を慮れば、やはり擁護者自身が「暴力容認者」であるからだろう、と結論づけるほかはない。

 そして、もう一つ、スミス擁護者たちが完全に失念していることは、「自分もまたクリス・ロックの立場になる」可能性である。
 いや、私はあんな他人を差別し中傷するような発言はしないよ、と仰る人もいるかも知れない。しかし、本当にそうか? これだけ差別的な呟きやヘイトスピーチが溢れかえっている社会で、「自分だけ」は誰かを傷つける発言はしない、と断言できる人間がいるのだろうか? それは単に「自身の差別意識に無自覚」なだけではないのか?
 子供の頃、誰しも、友達をチビだのデブだのメガネだの、あるいは本人がいやがるようなあだ名で呼んでいた経験があるのではないか。それを「友達感覚」とか「仲間意識」とか、「悪口のつもりはなかった」と思っていた人は多いのではないか。
 同じく、暴言やパワハラ事件が報道されるたびに、加害者は異口同音に「(差別する)意図はなかった」と弁解する。ことほどさように、日本人は、自身が「言葉の差別者」になってしまうこと、「暴言を言う側」の立場に置かれることを想像できない。だから反作用的に、「言われる側」にばかり自分を重ね合わせることになる。

 自分を「被害者」の立場にしかおけない人間は、「加害者」と認定した相手に対して、容赦なく攻撃を仕掛けることになる。基本、自分の差別意識に無自覚だから、その攻撃もまた「差別意識」に基づいているとは認識できない。ウィル・スミス擁護が、クリス・ロックへの誹謗中傷の域にまで達して「度を超えて」しまっていることは、この記事のコメント欄の呟きの数々で一目瞭然である。
 おそらく彼らの多くが、これまでも「無自覚な差別発言」を繰り返してきているのだろう。ジェイダさんをからかう言葉には怒りを覚えながら、高齢者や病人、身体障碍者やLGBTQへの差別的な呟きを吐き出しては溜飲を下げてきたのではなかろうか。
 もしもそれが、日本人の大多数だとしたら――物凄く恐ろしいことだと感じるんだけどね。

 思い返せば、フランスのシャルリーエプド紙が、ムハンマドを揶揄するイラストを掲載して、イスラム教過激派テロリストによって襲撃、多数の記者が殺害されたときも、日本人でテロリストの肩を持った意見を口にする人間は多かったものなあ。
 私が、どんなに酷い揶揄・中傷をやらかしても、ただの「表現」に対して「暴力行為」で報いていいわけないじゃないか、と呟いたら、やっぱり「先に言葉の暴力を振るった方が悪い。暴力で報復されても仕方がない」と絡んできたやつがいた。それでそいつに散々暴言を吐いたら、怒り狂って反駁してきた。「じゃあ次はあなたが『暴力』に訴えてくる分けだね?」と訊いたら沈黙したよ。
 その時は、私は被害に遭わずに済んだけれども、今回はどうかなあ。「貴様の住所を教えろ、殴りに行くから」なんてやつが現れるかもしれない。ねっ、そういうやつの方がキ××イなんだって分かるでしょ? 日本人、これ以上狂っちゃダメだよ。
 
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