ヒストリーチャンネルの歴史番組で、鎌倉幕府滅亡の特集をやっていたの見て、ふと思い立った日記。おそらく「鎌倉殿」には出てこないであろう、後に北条を滅ぼすことになる足利と新田の祖先のステータス。
足利義兼
知略78武力72優雅38勇名38菩提66加護77無常40弓術64 貴種
河内源氏、足利氏の二代目。頼朝から見て4世代前に枝分かれした一族なので、そういう意味ではかなり遠縁なのだけれども、母同士が姉妹だったため、頼朝個人とはかなり近い親戚。早い時点から頼朝勢に加わり、准一族扱い(門葉)に取り立てられ、政子の妹の一人と結婚。二代続けて相婿関係になる。
と、高い地位に昇り詰めたのはいいものの、そうなると巻き込まれるのが権力闘争。足利一族は代々北条に従順な姿勢を取り続けて、なんとか生き残り続けたものの、理不尽な目にも合ってきたわけで、そのフラストレーションがとうとう爆発したのが7世代後の高氏だったという話。
平家討伐から奥州藤原討伐と主だった戦役には全て参加しているので、それなりの戦闘力。後の権力闘争も生き残っているので、知略も加護も高め。納得できるステータスではある。
新田義重
知略88武力78優雅67勇名63菩提84加護40無常46弓術74 貴種
河内源氏、新田氏の初代。足利義兼の叔父で、早くに父を亡くした義廉の後見。当時の河内源氏の最長老格で、各地の源氏勢力と繋がりを持っていた大物だったのだけれども、他の源氏に比べて基盤の弱かった頼朝を軽く見てしまったのか、頼朝との合流が遅れてしまい、それがしこりとなって鎌倉幕府では高い地位を得られなかった みたいな人。
義重は娘を源義平(頼朝の兄)に嫁がせていたのだけれども、義平は平治の乱で敗死したので、娘は義重のもとに戻っていた。義重が頼朝の軍に加わると、頼朝はあろうことか兄の妻を側室に要求。さすがにドン引きだし、北条政子の目も怖いので義重がこれを断ると、頼朝は立腹。合流が遅れたこともあって、義重をことさら冷遇した というエピソード。さすがに与太話だろうと思っていたら、出典が鎌倉幕府における正史扱いの吾妻鏡だったというオチ。すごいな頼朝。
で、元々は面倒見てやっていたはずの同族の足利は栄達して、新田は冷遇され続けていたわけで、その辺のフラストレーションが南北朝での新田氏の動きにつながってくるという流れ。
加護以外は完全に足利義兼の上位互換。さすがにステータス盛りすぎだろうと思うのだけれども、新田は神君家康公の祖先(※多分でまかせ)なので、多少は大目に見るべきなのだろうかと。死後400年経ってからではあるけれど、鎮守府将軍にも任じられているし。
※コーエーの源平合戦で見る「鎌倉殿」・インデックス
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