面白い記事があったので超訳してみます
《良心が痛む人は救われる》
親孝行できなかった
子供の気持ちを考えず従わせてしまった
悪いことと知りながら止められなかった
大悪党でなくても、何かしらチクチク悔いが残っていたり、良心の呵責ってものが首をもたげて頭をよぎることは誰にでもある
人間であり、生きてる限りはすべての人が持つ感覚。
それを宗教的視点から解釈すると…
自分の心の中にいる神様の分霊が痛めているのだそうだ。
だから良心の呵責だったり後悔だったりってやつは、実は自分の中に《良心》という神様がまだ生きている証拠だから、まだあなたは救われるよ!
ってこと
何だか良いよね
劣等感は向上心の裏返しって言葉も好きだけど、《後悔》とか正体の分からない罪悪感みたいな感覚も、宗教的に見ればいい感じに変わる
だから宗教ってのは無くならないんだろうな
スピリチュアル系メンタルセラピーだよな
という独り言でした
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