亡くなる少し前に店頭に並んだ安藤昇をテーマにした1冊を買った。
追悼番組に『狂った果実』を視聴し、改めて
「石原慎太郎は、本物(真正)を知る人」
だったと再認識した。
私も後にいわゆる「本物(真正)」と呼ばれる存在を知る事となり、『狂った果実』の視聴後には
(狂った果実とは、果たして兄を指していたのか?弟だったか?)
などとつらつら考えたが、結論として
「危険な人物からは遠く物理的に距離を置くほか無い」
と常道のみを選ぶに留めた。
なぜ安藤昇なのか?、それが分からないならばネットを離れたリアルで私に話し掛けないで貰いたいと願う。
匂い立つ暴力とは、昨今の沖縄県の警察署襲撃騒動に現れるような、その種の危険を何時も孕んでいるから、だ。
私達リベラルを自認する左翼は、いつもその種の危険に知らずしらずに巻き込まれる事態を警戒していた、そうせねば活動など続かなかったので。
これは、あまりにも大きな痛手であり損失だろう。
■「改めて存在の大きさを痛感」 岸田首相、石原慎太郎氏宅を弔問
(朝日新聞デジタル - 02月05日 13:16)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6839890
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