源頼朝
知才95武力68優雅65勇名72菩提82加護90無常35弓術68 貴種
言わずと知れた鎌倉殿。知才と加護の高い政治家タイプだけれども、知才は大江広元(96)に1及ばず、加護は北条義時(92)に2及ばず。ただし知才と加護を足した数字で見れば、広元や義時を超える という感じ。
武力は義仲(98)や義経(90)に及ばないのは当然として、行家叔父(69)にすら1及ばず。まぁ負けが多いとはいえ 戦場に立つことが多かった行家叔父に対して、頼朝は自身が前線に立つことが少なかったことを考えれば、致し方ないのかも知れない。挙げ句、頼朝が陣頭指揮をとった数少ない例である石橋山は大敗。
そして、微妙に低い優雅。京都から下ってくる大江たち実務官僚衆より低いのは致し方ないにしても、後に側近を形成する比企能員(72)梶原景時(68)工藤祐経(70)よりも低い。元服するかしないかで流刑にあっているので、微妙に教養がアレだという評価なのだろうか。よく分からない。
武田信義
知才73武力85優雅24勇名72菩提55加護80無常52弓術73 貴種
決起した各地の源氏の棟梁の一人。流人で自前の兵を持たなかった初期の頼朝に比べて、数代に渡って甲斐で勢力を蓄えてきた信義の実力は確かで、頼朝を蹴散らした大庭勢を自力で蹴散らしている。当時の反平氏勢力でも最有力者の一人。ゲームでの武力の高さは、その辺に起因しているのだろう。
もっとも、その後 有力武士団が集まるようになった頼朝に対して、信義は身内からの離反が相次ぎ、徐々に勢力が逆転。最終的には頼朝の一御家人に成り下がってしまった みたいな流れ。源行家の約2・5倍という無常の高さは、その辺に起因してるだろうか。
まぁ頼朝に有力武士団が集まったのは、バックのない頼朝の方が担ぎやすかったからとしても、身内からの離反者まで多かったことを考えると、やはり頼朝に比べると信義に人望がなかった ということになるのかなと。
まぁ頼朝が片っ端から「お前を一番頼りにしている」と言って回っているのは、御家人たちだって分かっているのに、それでもやっぱり面と向かって「頼りにしてる」と言われると、『この人の期待に応えなければ…』という気持ちなってしまうあたりが、頼朝のスゴいところ。身内での争いはどの家でも多かれ少なかれあるわけで、信義がダメというよりは、頼朝がおかしい(褒め言葉)と言うべきなんだろう。
※コーエーの源平合戦で見る「鎌倉殿」・インデックス
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