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2022年01月29日01:59

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今はまだ感じていない憎悪を、私の中に発見してしまうかも知れない

祖父の命を繋ぐ医療用酸素ボンベを勉強机の椅子の後ろに置いて私が受験勉強をしていた頃、『あの人達』は何処で何をしていたのか?。

私がヤングケアラーをしていた当時に、仲間と集まり友達と皆で楽しく面白可笑しく酒盛りして喫煙していただろう『あの人達』は、私の憎むべきアウトローであるか?否か?。

いつか、私は、喪った子供時代に直面し何らかの回答を得るだろう。その問題に正解は無い、しかしどんな回答を得ても全てが正解であり、全てが誤答だろう。

全ては私の解釈により正誤が決まる。





シンナーかトルエンでラリっている詰め襟の高校生を、保育園生だった私は

(このお兄ちゃんだけ臭い…、変な臭いする…)

と不思議に思い見上げていた、あの街の夕焼けの思い出。

シンナー臭い詰め襟高校生の通う市立高校には定時制があり、私が住んでいた木造アパートには夜、布団に潜り込む私の耳にまで合唱を練習する夜間部の高校生達の声が風に乗り切れ切れに届いて来ていた。

まだ人生の幸も不幸も未知であった幼い私の住んでいた木造アパートは既に無いが、祖父の健康を害した大気汚染公害の被告企業も既に無い。





それでも、通った学習塾に友人は居たし、クラスには趣味で繋がる友人も居た、同じ数だけ嫌いな同級生も絶えず居た。

少なくとも私の学級担任達は私の家庭生活について理解を示し、実質的に全校生徒に強制だった部活動は免除されもした。

同じ学年には気まぐれに登校して来てはシンナー臭を漂わせる女子生徒も居た、シンナー臭い彼女は卒アルの集合写真には別枠で写っていた。

シンナー中毒の女子生徒に比較して、私はまだかなり幸せな部類の子供だっただろう、そして今日現在もかなり幸せな部類の人間である事だろう。





義務教育の学校に、嫌々ながらも通う事が可能であった分だけでも、曲がりなりにも県立高校に進学が出来た分だけでも、私は相当に幸せな子供だったのだろう。

今は、まだ、その様に考えている。
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■ヤングケアラー支援、ソーシャルワーカーをほぼ全ての府立高に配置へ
(朝日新聞デジタル - 01月28日 18:59)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6830310
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