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2022年01月22日10:00

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紙は、楮、三椏などを使った日本製に限る。

「妻が祝儀袋を封筒がわりに使っていた」 ジョージア駐日大使のツイートが「ほっこりした」と話題、大使夫人に話を聞いた
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=6821872

しばらく、財団の古書の整理をしています。
日本の書物は、江戸時代以降、中國書は明、清以降が中心です。
もうそのころには、印刷が主流です。
(手書きは何かの秘伝書など、特別の意味を持ちます、現代と同じですね)
左が日本の木版、右が中國の銅板です。
左のように、絵を印刷する(まさに版画)など、木版銅板を問わず当たり前でした。
共に、活字のようなものを木枠に組み合わせて印刷する形式もあれば、瓦版のように一枚の板を彫刻刀のようなもので彫る形式のものもあります。

目録と突き合わせる作業をやっているのですが、中國書が来ると、何というかがっかりします。
印刷はともかく、紙がチープなのです。
しかも、チープというのは、折り返しに堪えられる強さや厚さ、色などの性能のことではありません。モヘアが入ったスーツと、ポリエステルのスーツが違うように、高級感の問題です。いや、有田焼の器とコンビニの紙の皿くらいの違いかもしれません。

何しろ、最澄が渡唐するときに二百貼もの和紙を持参したほどです。
平安の初めから、和紙は、中國にもなく改まった土産物になるほどの高級な紙だったのです。

昔から不思議ですが、紙は高級なものが心に残ります。しかも、所有などの形で支配者になると、なおさら強いです。(財団は一応、肩書を貰ってますので、ありがたいことに所有に近い感覚です)

最高のノートとは、楮や三椏などを使った和紙に、墨で書いたものでしょう。
小筆の墨書も最高です。
慣れれば万年筆やボールペンなどより早い、千年以上持つという大きな長所があります。だから、同級生で筆ペンでノートを取った人がいました。
真似たことがありますが、その時の情景は心に刻まれています。書いたのは、せいぜい、原稿用紙二枚。しかし、論文のネタが見つかれば後はどうでもいいという読書数巻分よりインパクトがありました。

祝儀も不祝儀も
相手の心に痕跡を残すために、わざわざ、あのような大仰な和紙に墨で表書きを書いて送ったのでしょう。

さすがに現代では、小筆で勉強するというわけにはいかないかもしれません。
しかし、大切な手紙は表書きだけでも、和紙、出来れば墨書がいいですね。

この大使夫人の祝儀袋の使い方は、笑い話ではなく理にかなっていると思います。
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