17日夜、救急車のサイレンが自宅近くで止んだ。急病人が出たんだろう、原因は知らない。
数軒離れた自宅マンションから緊急車両の写真を撮影し、後は知らん顔し、巻き込まれには行かない。
近隣住民と仲良く行き来する等は自殺行為だ、コロナ感染が知られでもしたら自宅に火でもかけられかねないバッシングぶりだったコロナ差別を思えば、当然だろう。
誰も助けられない、誰にも助けてなど貰えない、それが社会現象としてのコロナ禍だ。
サイレンの去る音さえ確認もせずに、私はテレビのボリュームを上げて、その晩は眠りについた。
近隣に住む誰の何をも聴きたくない、近隣に住む誰の何をも知りたくない。
ただ、ひたすらに、自己の免疫力を下げない様に努力を繰り返すだけの毎日だ。
コロナ禍について、特に深い感慨は無い。
私には、この種の差別が付きまとう社会現象は2度目だ。
■妊婦、コロナ症状重い傾向=中等症以上は2倍に―成育医療研など
(時事通信社 - 01月18日 19:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6817495
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