終わった…
1月1日5時8分 配信
北上線:『運転見合わせ』
北上線は、大雪の影響で、ほっとゆだ〜横手駅間の上下線で10時30分頃まで運転を見合わせます。代行輸送は行いません。北上〜ほっとゆだ駅間の上り線で一部列車が運休となっていま… #北上線 #Kitakami_Line
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予定では田沢湖線の始発で大曲へ。
奥羽本線に乗り換えて横手に出て、昨年乗車出来なかった北上線を堪能。
そして北上から盛岡に戻る予定であった。
しかし、これで全て終わった。
10時30分まで待っていたのでは、その後の工程が無茶苦茶になって仕舞う。
昨年に引き続き、今年も北上線を諦めざるを得ない。
とは云え、適当な代替えルートも無い。
花輪線や、秋田内陸縦貫鉄道など色々と候補はあるが時間が幸いしなかった。
とは云え、それで半日も無為に過ごす事は乗り鉄の端くれとして絶対に出来ない。
なので当初の予定通り5時20分発の田沢湖線大曲行きに乗る事にした。
ホテルは5時過ぎにチェックアウトし、盛岡駅へと向かう。
一番奥の8番線、田沢湖線のホームにほ既に大曲行きが停車していた。
車輛は台車を標準軌に履き替えた701系5000番台の4輛編成。
車内は千鳥配置になったセミクロスシート。
車内は殆ど人がいない。
正月早々、田沢湖線の始発に乗る者もあるまい。
コンビニで買っておいた、令和四年初の食事を取る。
https://twitter.com/sylvian3/status/1477011265688317952?t=M9mwuFIkfySdH5jhwHEyIw&s=19
5時20分、定刻に発車する。
実は、田沢湖線は何度も乗車しているが全て秋田新幹線での乗車で、各駅停車では乗車した事が無い。
これもまた、良い機会ではある。
まだ日も出ていない、真っ暗な中を走る。
考えてみれば田沢湖線、秋田新幹線に乗車するのは何時も夜の暗闇ばかりだ。
初めて秋田新幹線に乗車した2003年の正月が、最初で最後の昼間の乗車だった。
赤渕で車輛切り離しの案内が入る。
後ろの2輛を切り離す。
こんな何も無い所で、と少し驚く。
赤渕を出ると、岩手県から秋田県へ県境である仙岩峠を越えるからトンネルが続く。
そして仙岩トンネルを抜けて秋田県は田沢湖に到着。
3分停車の為、スタンプは押しに行けた。
刺巻を過ぎ、まだ辺りは暗闇ではあるが感覚的に下り勾配なのが解る。
漸く峠を越えて、角館に到着。
秋田内陸縦貫鉄道の気動車が停車していた。
鷹巣から角館を結ぶこの路線も、早く乗りたいものだ。
角館を出て、うっすらと外が見える様になって来た。
地吹雪の様に雪が舞い上がっている。
羽後長野で交換する列車が遅れているとの放送が入る。
3分の遅れで発車。
鑓見内まで来ると、車窓が明らかになる位には明るくなった。
白い闇の世界。
羽後四ツ屋でE6系新幹線「こまち」東京行きと交換。
積もった雪を吹き飛ばしながら疾走して行く様は、雪国の鉄路の守護神とも云うべき姿である。
大曲に到着。
駅員に確認したが、矢張り北上線は運休。
北上線に乗れるのは、何時になる事やら。
今年も全くの無駄足だった。
待合室の売店が開いていたから土産物を物色。
昨年買って美味しかった比内地鶏釜飯の素とか、色々と購入。
可愛いものを買ってしまった。
駅で仕切りに運行状況について案内していた。
1月1日6時38分 配信
奥羽本線:『遅延』
奥羽本線は、ポイント点検の影響で、秋田〜横手駅間の上り線の一部列車に遅れがでています。 #奥羽本線 #Ou_Line
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他にも、羽越本線など軒並み不通になっている模様だ。
仕方が無いので、折り返し7時2分発の盛岡行きの車内に戻る。
車内はやはり空いている。
羽後長野で大曲行きと交換。
雪の平野を走る。
角館で多少、乗客があった。
秋田内陸縦貫鉄道にも乗りたかった。
神代を過ぎると上り勾配になり、山が迫って来る。
彼方此方に貯木場がある。
田沢湖を過ぎ、仙岩峠を越える。
この区間は峠を挟んでかなり距離があるから、行き違い用に信号所が設けてある。
その一つ、志度内信号場に停車。
しかし、列車を待つ事もなくすぐに発車。
仙岩トンネルを抜ける。
トンネルを抜けたら大地沢信号場があるが、ここでは停車せずにそのまま通過した。
そうして、赤渕に到着。
朝来た時は真っ暗闇で何も無い所だと思っていたが。
家も道路も普通にあった。
盛岡の郊外と云う雰囲気の中を走る。
雫石で仙台発秋田行き「こまち」と交換。
乗客もある。
小岩井からも結構乗って来る。
そして8時26分、盛岡に到着。
北上線周りだったら9時57分の到着予定だったから、かなり時間が余って終った。
取り立ててする事も無いので、岩手の名の起こりの由来となった三ツ石神社へ参詣する事にした。
三ツ石神社は盛岡駅から2.3�卍�の距離がある。
バスもあるらしいが、路線など良く解ら無いので、荷物を抱えて歩いて行く事にした。
こんな事ならホテルをチェックアウトしなければ良かった。
そうすれば荷物を部屋に置いておけたのに。
積雪が踏み固められ氷の板状になっているから歩きにくい。
しかも、両手に荷物、である。
途中、大智田中地蔵尊(四ツ家の地蔵さん)と云うのが祭られていたのでお詣りをする。
しかし、こが駅メモのイベント、岬のマヨイガ「岩手の不思議な旅」スタンプラリーのチェックポイントだと云うのを、盛岡駅に戻ってから知った。
30分程歩いて、漸く三ツ石神社に着いた。
最寄りのバス停を見たら9時27分にバスがあり、その次は30分後になると云う。
休日ダイヤでの運行だ。
15分位しか時間が無いので、手早くお詣りを済ます。
境内には三個の巨大な花崗岩が立ち並んでいる。
その昔、この地を荒らし回った羅刹鬼と云う鬼に三ツ石の神が罰を下し、二度とこの地を荒らさないという鬼の確約を岩の上に手形で残させたと云う伝説がある。
それが「岩手」の名称の由来と云われている。
子供の頃に「まんが日本昔ばなし」で見て、その後現実にその岩が存在すると聞いて、是非行ってみたいと思っていたのだが。
漸く念願が叶った。
お詣りをしてバス停に戻る。
ちょうど9時27分だったから、すぐにバスも来るだろうと思っていたのだが。
来る気配が無い。
もう一度時刻表を良く見たら注があり
「12月31日と1月1から3日は運休」
と書いてあった。
次の57分のバスを待つ位ならと、駅へと向かって歩きだした。
幸い、裁判所前で岩手県交通バスが来たから、駅までバスに乗る事が出来た。
盛岡駅で、次の列車まで時間があるから土産物等を見る。
しかし、駅弁が見当たらない。
聞くと、駅弁は新幹線改札の中にしか売っていないと云う。
完全に18きっぷの客を相手にする気は無い様だ。
仕方が無いから、入場券を購入し駅弁を物色する。
種類が多くどれも旨そうなので目移りして仕方が無い。
散々悩んで購入した。
しかし、この「宮古駅そば」は欲しかった。
要冷蔵でなければと思う。
次の列車は11時6分発山田線宮古行き快速「リアス」である。
何を隠そう、盛岡から宮古まで山田線経由で行く列車は、この11時6分発の快速「リアス」が一番列車なのである。
なので、もっと早く宮古へ行くには花巻から釜石線・三陸鉄道経由で遠回りして行かなくてはならない。
それだけ、山田線の利用者が少ないと云う事なのだろうが。
10時50分頃に、キハ110の2輛編成で「リアス」が到着。
今回は2人ボックス席を取る事が出来た。
山田線に乗るのは2003年の正月以来。
この時は、BUCK-TICK「THE DAY IN QUESTION」と冬コミに参戦後、「ムーンライトえちご」から羽越本線を乗り継ぎ男鹿で一泊。
翌日、お年玉きっぷを使用し新幹線で盛岡へ。
そして山田線に乗り継いだのである。
当時はまだ、キハ52が走っていた。
「リアス」が発車して、呑み鉄。
駅弁は、散々悩んで一ノ関駅斎藤松月堂「鶏舞弁当」に、酒は遠野どぶろく辛口、盛岡の菊の司酒造「七福神」純米。
更に小岩井乳業のおつまみチーズに塩釜のかきかまぼこ。
山田線と云えば極初期のこち亀、第8巻で両津が宮古に行く時に利用している。
勿論、両津は社内で散々酒を呑んでいたから、その故事に習って山田線では酒を呑まなければならない。
盛岡から二駅、山岸を過ぎると山の中へと入って行く。
山田線は、原敬が我田引鉄した路線としても有名で野党憲政会は猛烈に反対し、同党議員は「こんな所に鉄道を敷いて、首相は山猿でも乗せるつもりか」と非難した逸話は有名である。
それ位、人跡未踏の山の中を走る。
上米内で3分停車。
盛岡行き快速「リアス」と交換。
ここから先は、本当に人跡未踏の地。
誰も乗らないから、駅が二つ廃止されている位である。
そんな山の中を凍てついた米内川に沿って走る。
雪煙を巻き上げながら、人里離れた深山を曲がりくねりながら、走って行く。
次の区界までは、二つ駅が廃止されたから25�劼發留愆屬�ある。
分水嶺を越える険しい山を抜けて区界に到着。
この駅こそ、酒を呑み尽くした両津が大量に酒を買い漁った売店のある駅である。
今は駅舎も建て替えられ売店もとうに無くなっている。果たして、売店があったのかすら怪しいが。
快速なので区界は通過する。
ほんの一瞬の、聖地巡礼。
この区界から閉伊川水系へと入る。
渓谷の美しい閉伊川を左右に何度も渡りながら山を抜けて行く。
平津戸の近くに、大峠ダムなるダムもあった。
そうして上夜中を発車してから久方振りに列車が陸中川井に停車した。
時間は12時38分で、上米内を発車したのが11時19分だから、1時間19分振りの停車。
これだけの長時間、無停車で走る「リアス」は、超低速「のぞみ」だ。
尤も、国鉄時代に走っていた急行列車は盛岡を出ると、陸中川井より更に先の茂市まで無停車だったそうだ。
腹帯を過ぎると、大分と雪も浅くなった。
かつて急行列車も泊まり、岩泉線との分岐駅でもあった茂市に到着。
蟇目を過ぎると、殆ど雪もなくなった。
千徳辺りから家がにわかに増える。
そうして13時17分、宮古に到着。
次は14時13分の三陸鉄道盛行き。
実は宮古から先も、かつては山田線の一部であった。
しかし、東日本大震災で宮古から釜石までの区間は壊滅的な被害を受け、JR東日本は復旧を断念した。
そして第三セクターである三陸鉄道に移籍し、鉄道として復興を遂げたのである。
そんな三陸鉄道を応援する、うさうさがいた。
因みに、2003年に来た時は宮古から三陸鉄道北リアス線に乗り久慈、そして八戸線を乗り継いだ。
そしてまだ八戸始発だった東北新幹線で帰途に着いたのである。
13時47分、盛行きが到着。
3輛編成で後ろ1輛は噂のこたつ列車であった。
車内は完全に、こたつ席になっている。
こたつ列車を切り離し、14時頃に改札を始めて、乗車する。
三陸鉄道36-700形気動車の2輛編成。
後ろ1車輛は貸し切りで、しかも、「岬のマヨイガ」列車だった。
この列車自体が宮古始発で無く、久慈始発だから、海側のボックス席は全て埋まっていた。
14時13分、定刻に発車。
ラサの大煙突を眺めながら宮古市内を抜けて行く。
八木沢・宮古短大を出ると海が見えて来た。
大堤防が町を護っている。
旧山田線区間は、ずっと海に面して走る訳では無い。
リアス式の根元を走る感覚で、海辺、半島越えを繰り返す。
次の津軽石は、駅舎に多数の荒巻鮭が飾ってあった。
津軽石を出て、半島の付け根を縦断する。
かなり大きな半島だからか、山越えの様な錯覚を覚える。
右に左に曲がりくねりながら勾配を下り山田の町へとハイッ行く。
殺風景な埋め立て地に、ぽつんぽつんと家があるような、古くからの漁港の町のイメージとは程遠い。
全て、あの大津波で流されて終ったのだろう。
そんな町を走り、陸中山田に到着。
山田の町も、大堤防に護られている。
再び、リアス式の半島の付け根をトンネルで抜ける。
海を眺め、またトンネルに入りの繰り返し。
ふと、鯨と海の博物館と云うのが目に入った。
そして岩手船越に到着。
宮古行きと交換する。
ここから、海に沿って走る。
建物も橋も、皆新しい。
だからか、何とも云えない違和感が拭いきれない。
今まで何年も何十年も積み重ねて来た生活やら歴史やら、そう云ったものが一瞬で崩壊し経ち切れて仕舞う恐ろしさを目の当たりにしている様な、そんな拭いきれない思いが去来する。
浪板海岸で、運転手がトイレへ行く。
余り目にする機会は無い。
珍しい経験だ。
次がかの有名な吉里吉里。
井上ひさしの長編小説「吉里吉里人」の聖地として訪れる人も多い。
停車時間は僅かだが、運転手が「少しの間ならホームで撮影しても大丈夫ですよ」と云ってくれたので、お言葉に甘える事にした。
吉里吉里から半島を縦断する。
そうして、半島を下れば大槌。
巨大な防潮堤に囲まれており、湾内に浮かぶ蓬莱島が見えない。
この蓬莱島は、同じく井上ひさし作の人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島と云われている。
大槌を出て、また半島の付け根を縦断する。
鵜住居、両石でちらりちらりと海を眺める他は、山越え路線。
かなり勾配も厳しい。
山側から釜石の町を見下ろす様に下って行く。
釜石線の線路が合流、旧山田線区間を走破し、釜石に到着。
しかし、願わくば山田線時代に、それもキハ58などが現役だった頃に乗りたかった。
ここからは、釜石線で花巻へ向かう。
一度、三陸鉄道の改札から出て、JRの改札かる入る。
そんな事しなくても隣のホームだったから改札出る必要もなかったのだが。
15時57分発の花巻行きは既に停車していた。
売店で、適当に買って軽く呑み鉄。
定刻に発車。
釜石の市内を抜けて洞泉を過ぎると勾配が厳しくなる。
積雪が増えて来る。
エンジンが唸りをあげて勾配を登って行く。
陸中大橋で釜石行きと交換。
釜石行きが遅れているらしく暫く停車する。
時期に山上から汽笛が響いて来た。
しかし、なかなか列車は姿を表さない。
半ループ線のΩカーブで降りて来るから時間が掛かるのである。
釜石行きが到着して、花巻行きも発車。
4分の遅れ、24分の発車である。
今度は此方が、半ループ線のΩカーブで仙人峠越えに挑む。
もう少しでループ線になろうかと云うカーブで高度を稼ぐ。
左側には先程停車していた陸中大橋の駅が見えた。
そしてトンネルに入る。
次の上有住は、かつて「構内に鍾乳洞がある駅」と紹介されていた。
映画「八つ墓村」のロケにも使われた滝観洞(ろうかんどう)の最寄り駅である。
足ヶ瀬を過ぎると日が沈んで終った。
酒が入り辺りが暗くなるといけない。
睡魔が襲って来る。
目が醒めたら遠野の手前だった。
ここで釜石行きと交換。
しかし、また釜石行きが遅れていて、7分程停車すると云う。
なので、スタンプを押したり、乗り鉄ならではの楽しみをする。
釜石行きが到着し、7分の遅れで発車。
鱒沢を過ぎて、エンジンが唸りを上げている。
花巻に到着。
次は
18時58分発の一ノ関行き。
小一時間も待ち時間がある。
しかし、幸いな事に売店が開いていた。
土産物や晩飯の物色をする。
いい時間潰しにはなった。
考えてみれば、花巻で下車したのは始めてかも知れない。
一ノ関行きは勿論、701系。
だが、時間も時間なので売店で買ったパンとお茶を頂く。
そうして、うつらうつらてしている間に一ノ関に到着。
7分の接続、19時58分の行きに乗り換える。
ホームを移動するから大変である。
この列車も701系。
いつの間にか岩手県に別れを告げて宮城県に入っていた。
小牛田には20時43分の到着。
次の仙台行きは21時10分で少し時間がある。
まだ列車は入っていない。
3番線に停車していた一ノ関からの電車が引き上げ、暫くしたら仙台行きが入って来た。
E721系のセミクロスシート車。
車内は空いているから一人でボックス席を占拠する。
仙台で22時発の福島行きに乗車。
E721と701系の併結だったから、迷わずE721系の車輛へ移動する。
岩沼で常磐線と別れ東北本線を走る。
槻木で阿武隈急行と別れる。
前に東北本線経由で帰った時は槻木から阿武隈急行で福島へ向かったので、純粋に東北本線ってのは一体何年振りだろう。
白石を出ると、難所の国見峠越えに挑む。
この峠を避ける為に蒸気機関車時代には優等列車を、距離は長いが勾配の少ない常磐線経由で走らせたり。
勾配を避けたバイパス線として丸森線(現・阿武隈急行)を建設したりと、東北本線の輸送の大障害であった。
流石に名にし負う峠、雪が大分と深くなる。
この峠を越えたら、漸く今日の宿泊地、福島。
やった
大吉や
https://twitter.com/sylvian3/status/1477245210757578758?t=GdA6SYwEbmLl3SRsI9E6xA&s=19
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