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2021年12月16日11:25

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中和の技術
社会学者デイヴィット・マッツァが提唱した概念に、「漂流理論」があります。これは、⾮⾏に⾛るものは、「善悪の区別がついていない者」なのではなく、「善悪の区別がついており、つねにその間を漂流している者」として捉えた上で、「⾃分が⾏なっている⾏為は悪ではない」と⾃⼰肯定しようとする様⼦に着⽬したものです。

このように、⾃分の⾏為を正当化する⽅法のことを、マッツァは「中和の技術」と呼びました。つまり、⾃分のしている⾏為は悪ではないとするイイワケの技術のことです。「中和の技術」には、主に5つの類型が挙げられています。

「責任の否定」
「危害の否定」
「被害者の否定」
「⾮難者への⾮難」
「⾼度の忠誠への訴え」
です。

これらはいじめにも当てはまります。「⾃分がやりだしたんじゃない」(責任の否定)、「これはいじめではなくふざけていただけだ」(危害の否定)、「この⼦が⽣意気だからこらしめていただけだ」(被害者の否定)、「そんなことを注意される筋合いはないし、そもそもお前は⼈に注意できる⽴場か」(⾮難者への⾮難)、「クラスのノリを乱すのがいけないんだ」(⾼度の忠誠への訴え)、といった具合に。

いじめは「悪」だと知られているからこそ、加害者はその加害性を否定しつつ、⼤⼈の⽬を盗んでいじめを⾏います。その際に⽤いられる「中和の技術」を鵜呑みにするのではなく、適切な仕⽅で加害を特定していく必要があります。


暴力行為を正当化する理由付け(中和の技術)
善悪の価値観の中を漂流している少年は、自分たちの行為を正当化する理由付け(中和の技術)を導入することで、非行に走っていく。その理由付けの5類型とは。

まえがき
善悪の価値観の中を漂流している少年は、自分たちの行為を正当化する理由付け(中和の技術)を導入することで、非行に走っていく。その理由付けの5類型とは。

リスト
【責任の否定】自分はある環境に巻き込まれたのであって、自分には責任がない
【加害の否定】これは遊びやふざけであるので、たいしたことではない
【被害の否定】これは、相手が受けて当然の攻撃であって、相手にこそ責任がある
【非難者の非難】こうした行為を非難する者も問題含みであり、非難する資格はない
【高度の忠誠への訴え】忠誠を誓うべき秩序や大義が荒らされているのだから、見逃せない


https://listfreak.com/list/2196



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