「遠江国風土記伝」には「心月庵」大須賀五郎左衛門の墓所なり」と記されている。
庵山の名は心月庵があったことに由来すると思われるが、これを大須賀五郎左衛門当て
たのは、かつて山麓にあった五輪塔に由緒づけた為と考えられる。しかし、この五輪塔
(後に梅林院境内に移された)は、地輪に刻まれた記年号・法名から推して、被葬者は
五郎佐衛門ではなく、弟の五郎兵衛康胤とするのが妥当である。また、そのように記さ
れた古記録もある。
なお、明治初期の「寺院明細帳」によれば、心月庵跡、山城国の宗黄檗宗浄住寺の
末で、延宝八年(1680年)に開創し、明治三十八年(1905)富士郡岩松村梅岡寺へ
合寺されたことになっている。 平成元年十一月
町制百年を記念して設置
と看板に書いてある通り、心月庵という庵が山にあったことに由来することが判ります
心月庵という建物は現存しませんので、私が子供の頃に、石段の上にあったお社とは、
違うようですね。
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