■川口春奈、謎のダンスシーンにぼやき 追及され監督「今のダンスを残しておきたかった」
(ORICON NEWS - 2021年11月20日 12:56)
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■川口春奈、“兄”役・岡田将生を信頼「とっても優しいお兄ちゃん」
(ORICON NEWS - 2021年10月28日 19:16)
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■岡田将生×川口春奈が“兄妹”役『聖地X』に緒形直人、真木よう子ら出演
(ORICON NEWS - 2021年10月01日 07:34)
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大ヒット祈願も虚しく、興収絶賛どん底更新中の映画『聖地X』。
まあ、売れる要素が特に見当たらないし、宣伝にも全然力が入ってないから仕方がないんだけど、原作の前川知大ファン、劇団イキウメファンとしては無念としか言い様がない。断言しても構わないが、現代日本の御劇界の頂点にいるのは間違いなく前川知大である。彼の原作を料理して、たいしたものが作れない、むしろ駄作にしてしまうとすれば、それはもう間違いなく監督や俳優が悪い。はっきり言って、入江悠監督は「下手糞」だ。前作『太陽』も惨憺たる出来だったが、今回も前川原作が「手に余る」様子が随所に見える。
逆に、先に面白かった点を挙げておくと、何度か繰り返される「ドッペルゲンガー合体シーン」(あるんだよ、そんなのが)は、この映画の白眉だった。もちろん「二人の同一人物」が合体するには、特撮を駆使する必要があるが、スタンドインさんとの呼吸を合わせること一つ取っても、簡単にできることではない。山田真歩の身体能力の限界に挑戦した「アクション」には、まさしく「目を見張る」ものがあった。これを見るだけでも、映画料金を大枚はたいただけの甲斐はあった。
メイクに頼らず、演技一つでジキル博士からハイド氏への変身を表現して見せた往年の名俳優、ジョン・バリモアもかくや(映画『狂へる悪魔』)。いやホント、これが全然誉めすぎじゃないのよ。山田真歩凄い。山田真歩立派。山田真歩、キャッホー! 大事なことだから三回言いました。
あ、あと真木よう子の「蛇拳」のポーズも素敵でした。見所はだいたいその辺で終わり(苦笑)。
じゃあ、何がダメだったかというと、具体的なことを書き始めたらキリがない。
やはり根本的なところから言うなら、「ドッペルゲンガーを生み出す土地」という基本アイデア自体は決して珍しいものではない。だから、「同一人物が現れたときに、本人は、あるいは周囲の人間はどのように反応するか」、それをどうホラーなりサスペンスなりコメディなりに持って行くか、その「演出上の工夫」がどうにも「足りない」と感じてしまうのだ。
おかげで観ている間、終始イライラしっば゜なしだったし、最終的にあれこれ不満ばかりが溜まり混んでしまう結果になっているのである。「ここでそう反応するか?」ってツッコミ入れたくなるシーンがもう次々出てくるんだよね。それでこりゃ日記書いてたらキリがなくなるぞって思っちゃったんだよ。
原作舞台は『プランクトンの踊り場(改題「聖地X」)』。第14回鶴屋南北戯曲賞を受賞しているが、福岡公演はなかったので舞台自体は私も未見。DVDを買おうかな。
イキウメの戯曲は、多くは架空の街・金輪町(こんりんちょう)を舞台としている。映画の場合、現実の場所をロケするしかないから、どことも知れぬ街にするのは難しい。『聖地X』は、オール韓国ロケを敢行、ドッペルゲンガーを生み出す「聖地」も韓国ということにした。もちろん、そのこと自体は瑕瑾でも何でもない。
「聖地」がそびれた雑貨屋のような和食店だというのも、怪しいような可笑しいような雰囲気があって悪くはない。こういうのは特にホラー風味を強調しない方が、「日常のスコシフシギな空気」を表現できるものなのである。
うーん、でも、そのフシギ感が出るのがそこまでなんだよね。ヒロイン・東要(川口春奈)の前に、突然、東京にいるはずの夫・滋(薬丸翔)が現れる。彼にフシギ感がないのが致命的。それはもう一人のドッペルゲンガー、この店の店長の妻・京子(山田真歩)の漂わせるフシギ感とどうしても比較せざるを得ないから、その差が歴然としてるんだよ。
薬丸君、ファンの人には悪いけど、彼、下手だよ。うーん、そうなんだよなあ、他の俳優さんたちも(主演二人も含めて)あまり巧いとは言えないんだけど、薬丸君がいちばんそれらしくないのがどうにもね。
ドッペルゲンガーには(そして「分身」が抜けていった「本体」も)「記憶の欠落」が生じる、という特徴がある。それは即ち「自己同一性」が保全できないということだ。記憶が欠落しているのに、滋には不安も恐怖も、あるいは逆に愉悦も感じることはない。いや、そういう感情が生じているような台詞を吐きはするのだが、薬丸君、まるで「それらしい」演技が出来ていないのだ。
困ったねえ、彼がこの映画の得点ポイントを50点くらいマイナスにしちゃってるよ。
ここでまた「比較」をしちゃうと薬丸君に悪いんだけど、「ドッペルゲンガーもの」って、本当に昔からたくさんあるからね。どうしても過去作を思い出さないわけにはいかないんだよ。
ドッペルゲンガーものの嚆矢といえば、SFの鼻祖の一人、エドガー・アラン・ポーの『ウィリアム・ウィルソン』。その映画化は『世にも怪奇な物語』中の一編『影を殺した男』(監督:ルイ・マル)。主演は何と全盛期のアラン・ドロンだ。薬丸君、気がついていたのかな、君はアラン・ドロンに対抗して演技しなければならなかったんだよ。
『惑星ソラリス』(監督:アンドレイ・タルコフスキー)では、主人公クリスの前に、自殺した妻のハリー(ナタリア・ボンダルチュク)が現れる。彼女も自己存在の不安定さに苦しむことになるが――あの結末の切なさを知ってると、『聖地X』の後半の展開はどうにも「雑」にしか見えないんだよね。
いっそのこと、三田村信行『おとうさんがいっぱい』みたいにスラップスティックで落とすとか、藤子・F・不二雄『俺と俺と俺』みたいに脳天気な落ちにするとか、いろいろやり方はあったと思う。何か一番中途半端な終わり方を選択したみたいでねえ。だからもう、ホント、隔靴掻痒なんだってば。
何だか薬丸君だけあげつらってるみたいで彼に悪いから補足しておこう。大丈夫、主役の二人、岡田将生君と川口春奈さんの二人も、今回は全然輝いてないから(苦笑)。
『散歩する侵略者』や『太陽』の時にも思ったことだけれど、映画だけを観て、イキウメの舞台ってこんなもの? 前川知大って、この程度の作家? なんて思わないでほしい。舞台は映画の百倍面白いんだよ。面白くないときの方が少ないんだよ。
DVDで観てもさ、舞台の魅力は半分も伝わらないから、ぜひ生の舞台でイキウメに接してほしいんだけれど、地方だとなかなか巡回してくれないからなあ。映画がイキウメを周知させる一番の手段だと思うんだけれど――できればもっと才能のある監督、俳優で映画化してほしいよ。何より「SFセンス」のある人に。
今更だけれど、前川知大がなぜ面白いかって、それは「SFだから」なんだよ(予告編はホラーっぽいけど、全然ホラーではありません。羊頭狗肉だね)。
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