mixiユーザー(id:63904941)

2021年11月11日17:04

104 view

ゼロ戦

よく
「バトルオブブリテンの時にドイツ軍がゼロ戦を使っていたらドイツは戦争に勝っていた」
と曰う脳内お花畑の国士様がおられます。

結論から言うと
「無限大の数のゼロ戦と、無限大の数の坂井三郎氏がいたら勝てていたけど、
それならメッサーでもおんなじやん。」
になります。

「なんでやねん!」と文句言いたい国士様用に、答えを列挙して行きます。

1:
ゼロ戦は、日米開戦という「戦時」を想定しておらず
5年程度で1000機程度生産されて終わる予定の戦闘機でした。
内訳は、10隻の空母に40機合計400機、4つの航空艦隊に100機合計400機、予備200機でした。
当然、生産性が異様に悪い機体だったんですよね、、

2:
バトルオブブリテンの初期から中期に移行した時には、すでにメッサーもスピットも
*パイロットの命を守るための操縦席後部の防弾装甲板
*燃料タンクを守るためのゴム製の内張り
*エンジンを守るためのゴム製の防弾板
などが標準的になっていました。
しかし、設計当時からギリギリのレベルのバランスで作られていたゼロ戦には
これらを搭載できる余裕はありませんでした。
似たような話として、例えば日本車はデビューした後にとんでもないホットバージョンなんて出てきませんが、例えばドイツ車はデビューした時の性能はイマイチでも
2年もしたらとんでもないスーパーバージョン普通に出てきているでしょ?

日本人のモノ作りは、最初から「最終製品が良ければいい」と言う考え方で
最初からギリギリのバランスで作るのに対して、
欧米では「1年も2年もしたらとんでもない技術が出てくる」事を最初から前提にして作り込まれているから、こんな違いが出てきちゃうわけです。

3:
ゼロ戦の前は96式艦戦、その前が95式艦戦(複葉機)でした。
当時の日本では「戦闘機は複葉機の方が優れているはずだ」と言う考え方がまだまだ支配的だったんですよね、、
理由は「複葉機の方が旋回性能が良い」と言う真っ当なものだったのですが、
この異論に立ち向かうために、ゼロ戦はあらゆる「余裕」も、エンジンのスペースさえも犠牲にして、徹底的に格闘戦専用戦闘機として設計されました。
しかし、バトルオブブリテンの時期のゼロ戦の20ミリ機関砲は、装弾数60発程度でした。

つまり、坂井三郎氏レベルのパイロットを零戦に乗せても、キルレシオは精々1.5程度だったはずです。

これに対してアメリカ海軍のF6Fヘルキャット戦闘機のキルレシオは軽く100を超えていました。

「熟練のパイロットの命を守る」姿勢が徹底していた事がこの結果となりました。

(ここからが本題)

日米開戦直前の山本長官が悲壮な決意でこう話しました。

「零戦僅か300機しかない」

この言葉に込められた山本長官の絶望を「感じて」みてください。









香取慎吾『新選組!』以来、17年ぶりNHKドラマ出演 新たな“山本五十六”像を演じる
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6736433
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する