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2021年11月09日13:15

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どちらにも言える話。

私は左利きです。
それに気が付いた両親は、物心つく前から、匙や箸を右手で持つよう頑張って矯正したそうで、お陰様で、箸は右手で使えます。
ですが、そこで力尽きたそうで、字を左手で書いているのに気が付いたそうですが、その内、自分で治すだろうと放置したそうです。
お陰様で、未だに左手で字を書いています。

強いてメリットをあげるなら、飯を食いながら、字が書ける程度ですが、飯を食う時はちゃんと食いたいので、その特技が生かされたことはありません。

左手で字を書いていると困る事は多々あるわけです。
筆記具は、基本的には引いて使うように作られていて、字も基本的には引いて書く用に作られています。
左手で書く場合、教わった通りに筆記具を使うと、鏡文字でも無ければ、書けません。
ノートに引っ掛かり、破く事も屡々。
そこで、何とか筆記具を使うような工夫を各自しているわけです。
私は、筆圧を工夫し、破かない程度の筆圧で筆記具を使えるようになりました。
人によっては、手首を大きく曲げ、引いて使えるように工夫している方々もいらっしゃいます。

左手で字を書いていて、絶望感に襲われたのは、1回だけでしょうか。

最近は知りませんが、私が小学校の頃は、万年筆で字を書く授業がありました。
万年筆は、押して書くとインクが出ないんですよね。
横棒は、私の書き方だとどうしても、筆記具を押してしまうんですよね。
ですが、押して書くとインクが出ない。
なので、左手で書くのを諦めました。

習字も、左手だとお手上げでしたが、速記の必要は無いのと、通常の筆記具とは異なる使い方をするので、多少の違和感はありましたが右手で何とかなっていました。
そこで、万年筆を筆に見立て、同様の書き方で、何とか。
ですが、書くスピードは物凄く遅いわけです。
他の生徒の倍以上の時間を掛け、提出物を仕上げた次第です。

ナイフや包丁は、右利き用でも、左手で使う事は出来ますが、ハサミは、他の指を入れる方に親指を入れないと切れないんですよね。
最近のハサミは、工夫されていて、どちらの手でも違和感なく使えるのですが、昔は、そのような配慮はありませんから、非常に使い辛い状況で使っていました。

ここまでは前振りですw

人権擁護団体が、右利き用に極端に調整された世の中に対して、少数派である左利きの人権を強く訴えたらどうなりますかね?

と言うのが本題です。

1.高額な左利き用の文具、器具等は、左利きの人に著しい経済的な負担をかけている。
 これは左利きの人に対する差別的な扱いである。
 各メーカーは、このような不当な差別を即刻中止し、価格差を廃ししろ。
 また、これまで左利きの方々が差別により被った経済的損失として、賠償金を支払え。

2.左手で使用できない文具・器具を使用した授業は、左利きの方に、著しい精神的負担を強いてる。
 特定の生徒しか受けられない授業なのであれば、義務教育に相応しくないカリキュラムであるので、即時中止しろ。

3.世の中には右利き、左利きの人が居るにも関わらず、多くの製品は右利き前提で作られており、また学校の授業等も左利き前提でお行われている現状は、左利きの人にとって恒常的に精神的苦痛を強いられる現実社会となっています。
 左利きへの差別的扱いの撤廃を強く求めるものです。
 ついては、以下の点の改善を強く求めます。
 (1)右手を使う事を前提とした授業は即時中止、もしくは、左手前提のカリキュラムの追加。
 (2)右手で操作しやすい工夫を施した製品は、同様に、左手で操作しやすい工夫を追加し、右手用と同額で提供する事。

と、主張をしたら、世の中の人はどの様に受け止めるのだろうか。

それは大変な事をしていたのに気がつかなかった。
即刻、対応を!

と、言っていただけるのでしょうかね?

ただ、恐らく私を含め左利きの方々の多くは、それを望んでいないと思うんですよね。
むしろ、それを言い出した人達に余計な事をと、悪感情を抱くかもしれません。
何故なら、左利きである事は、自分の事情や都合であって、他の人には関係の無い話で、また、それを殊更強調される事で、今まで持ち合わせていない、あるいは、そこはかとない感情であったコンプレックスと強引に向き合わさせられるからです。

確かに左利き用のハサミは使い勝手が良いので、お求めやすい価格になっているとありがたいのは事実です。また、彫刻刀やナイフなどの刃物も、左手で使う事が前提の刃の向きになっている物が、お求めやすい価格で手に入るのはありがたい話です。
ですが、その結果、他へ多大な影響を与えてしまう。また、その結果生じる不具合の矛先が、自分達の方へ向かってしまうのであれば、工夫でどうにかなる範囲は、工夫でどうにかするからほっといて欲しいと思うわけです。

敢えてこういう言い方をしますが、健常者の障碍者への気遣いは、有って然るべきだとは思います。ですが、それが行き過ぎるのは、気遣いではなく、お節介だと思うんですよ。
また、それが当然と受け止められても困ってしまうわけですよね。
何故ならそれは、善意から出る「気遣い」であって「義務」では無いからです。

その辺りのバランスが最近とみに崩れているような気がします。

障害者の意見を聞く事無く、健常者目線で進める障碍者対策に不備があるのは当然の成り行きです。
ですが、多少遠回りすれば済む話に対して、多大なコストを掛けて健常者と同じ経路を通る事を要求するのもどうなのかと思ってしまいます。

健常者、障害者という言葉を使いましたが、こういう言葉が要らない世の中が本来は望ましいはずなんですよね。
手や足が無いだけの人、目が見えない、耳が聞こえないだけの人、そういう人達が普通に存在する世の中を求めて居るはずなのですから。

過ぎたるは、及ばざるが如し。

良い諺だと思いますけどね。



■再開発で長大スロープ=エレベーター5基乗り継ぎ―当事者不在のバリアフリー
(時事通信社 - 11月09日 07:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6733264

 歩道橋の長いスロープ、駅では5基のエレベーターを乗り継ぎ―。大阪市では障害者らの訴えを受け、バリアフリー事業が見直された。専門家は「当事者抜きで議論を進めるため、おかしなアイデアが出てくる」と話す。

 大阪を代表するターミナル・梅田駅周辺では2024年の一部オープンを目指し、大規模再開発が進む。一連の整備でJR東海道線の支線が地下化され、ガード下の歩道(長さ約25メートル)が廃止される。

 近くには障害児施設や市営団地があり、車椅子や高齢者の通行も多い。しかし、16年に公表された代替の歩道橋案にはエレベーターがなく、80メートルのスロープを上り下りする必要があった。

 大幅な遠回りを強いられる上、車椅子で長いスロープの利用は難しく、市民が署名活動を展開。市は計画を修正し、エレベーターの設置を決めた。

 脳性まひで車椅子を利用する男性は16年、JR京橋駅(同市)構内で乗り換え時に5基のエレベーターを乗り継ぐ必要があるとして、大阪地裁に提訴した。

 JR西日本や京阪電鉄などが乗り入れる京橋駅は同市の「東の玄関口」に当たる。乗り継ぎの回数が減るようJR西がエレベーター3基の増設を決め、男性は訴訟を取り下げた。一方、市の事業計画では、09年までに「対策済み」とされていた。

 バリアフリーが専門の三星昭宏・近畿大名誉教授は「基準を満たしても、利用可能かどうかは別の問題。事業計画を定期的に修正し、当事者の意見を反映させる仕組みが必要だ」と話す。
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