
〈10/9(土)本日の一言メッセージ+動画+α〉
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22260 (写真入り記事)

「愛に生きよう!」
普通日本では、「あなたを愛しています」という言葉は恥ずかしくて使えない言葉ではないでしょうか。
その一つの要因は、仏教の影響があるかも知れません。
私の友人で、元僧侶で、今牧師をしている人がいます。愛について語り合った時、「仏教では愛は悪いものと考えるんですよ」と言われました。
仏教における「愛」は、異性、お金、名声などへの「執着心」であり、欲望の一種であり、煩悩の一つです。そのため「愛」を否定し、代わりに「慈悲」を大切にするそうです。
では、聖書やキリスト教が使う「愛」はどういう意味で使われているのでしょうか。
日本語で同じ言葉でも、意味や内容が違います。
「愛」は執着心ではなく、自分を捨てて、相手が必要としているものを無条件で一方的に相手に与える心と行為を指します。
聖書には、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネによる福音書 15章 13節)と書かれています。
イエス・キリストが十字架の上で愛を現して下さいました。これこそが、聖書が語る「愛」です。
そして、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)と語られました。
愛とは、執着心ではなく、友のために命を捨てることです。
その愛をキリストから受け取り、味わい、今度は、その愛で人を愛して行くなら、この日本はやがて天国に変わります。
人はそんな愛を求めています。
私が仮に、有能な牧師で、名説教家で、多くの人を導き、さらに、有能なリーダーで、素晴らしいリーダーシップを発揮し、国民からの支持も得ているとします。
しかし、人は有能で立派な人より、自分に耳を傾け、愛してくれる人を求めています。カリスマ性より、自分に寄り添い、理解し、共に歩んでくれる人を望みます。
私の妻は、私が成功することを喜んでくれると思います。しかし、自分を愛し、大切にしてくれることを最も望むと思います。
どんなにお金があっても、権力があっても、私が妻を愛さなかったとしたら妻はうれしくないはずです。
でも、平凡で、足りないところがたくさんあっても、妻を愛する夫であったら妻は嬉しいと思います。
実際問題として、人を愛することは難しいです。しかし、神の愛を受けて、その愛を味わった人なら、愛することができるようになっていきます。
私が神を愛し、妻を愛し、人を愛しているなら、愛された相手も幸せになるかも知れませんが、何より、愛している本人がもっと幸せなのです。
足りないところがたくさんありますが、心から人を愛する人でありたいと思います。
愛は世界を幸せにし、平和にし、救う力があります。今こそ、愛を求めて生きていきませんか。
人を愛することは、決して恥ずかしいことではありません。すばらしい生き方です。
🧡<毎日更新>【動画メッセージ】
『心の内側が燃える体験』
https://youtu.be/2XythiqGqJw

<毎日更新>【9/26(日)大久保駅 ふらっと路傍伝道の動画〈前半〉】
https://youtu.be/nICdLxJqTiY

<週一更新>【10/3(日)新宿福興教会 オンライン主日礼拝の動画】
https://youtu.be/Bp0FNQ0a-fk (朝礼拝)
https://youtu.be/VWJvfgBmJfM (夕礼拝)
明日は日曜日です。日曜日は教会へ。教会に行けない事情のある方は、オンライン礼拝を提供いたします。

<不定期更新>【テレビ説教の動画(新シリーズ� 法�
https://youtu.be/URjtmtKc_aM

<不定期更新>【日本全国23局のFMラジオでの説教の音声】
「続・ぶとうの木と枝」
https://www.seishobridge.com/content/detail/id=2144

<ドキュメンタリー番組>【路傍伝道ネットワーク 活動紹介の動画】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY

<本日の路傍伝道の予定>
大久保駅(北口)ガード下にて
17時ー19時
お祈り、ご参加をよろしくお願いします。

「編集後記的メッセージ 『罪を犯せなくなる神の愛』」
今日の一言メッセージでは、愛について触れました。
聖書のギリシャ語には、4つの「愛」があります。
� 屮┘蹈后廖ΑΑγ暴�の愛、性愛
�◆屮好肇襯押次廖ΑΑΣ搬屋�
��「フィリア」・・・友愛
�ぁ屮▲�ペー」・・・神の愛
聖書のヘブル語には、2つの「愛」があります。
� 屮悒札鼻廖ΑΑΨ辰漾△い弔�しみ、契約に基づく愛
�◆屮▲魯凜 次廖ΑΑα�びの愛、無条件の愛
愛には多様性があります。
しかし、関係の中で持たれる愛には条件があります。しかし、その条件を超えた時にも、なお愛する無条件の愛があることに感謝をしたいと思います。
それを当たり前と思って、「どこまで赦してもらえるだろうか!?」と、神の愛を試みてはいけません。
聖書には、「神から生まれた人は皆、罪を犯しません。神の種がこの人の内にいつもあるからです。この人は神から生まれたので、罪を犯すことができません」(第一ヨハネ3:9)と書かれています。
この聖句を文字通りに受け取るとしたら、困ったことになりました。
私たちは、罪を犯さない日がないからです。
もちろん、罪を犯していないという演出はできますが、聖書は、それを「偽善」と呼びます。
では、「神から生まれた人は皆、罪を犯しません」とはどういうことなのでしょうか。
神の救いを受けた後にも、繰り返し罪を犯したことを自覚し、その都度悔い改め、その都度赦しを得続ける時に、神に対する感謝と共に、「神様に対して申し訳ない。これ以上繰り返して神様を悲しませることは出来ない」と心を痛めることにより、罪から離れていくのです。
かつては、罪が得であり、やったもの勝ちみたいに思っていたのが、「あー、もう罪は犯したくない」と心底思うようになったらしめたものです
そこに祈りが生じ、助け主である聖霊が働かれ、人は罪から離れていけるのです。それが神の種です。
神を悲しませ、自分も他者も不幸にする罪を、「バレなければいい」「やったもの勝ち」と思い続けることの方が難しいと思います。
「わかっていてもやめられない!」から、神の恵みによって、気がついたらやめられるようになっていくのです。
神様は、あなたをあきらめることがありません。
今日も、罪を犯し、神を悲しませてしまったとしても、神の前に進み出ましょう。神は、あなたを喜んで迎え、赦し、きよめ、愛してくださいます。
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