mixiユーザー(id:6785066)

2021年09月29日07:00

64 view

18980709 NO4910 大隈内閣の成立経過とこれに伴う訓示

18980709 NO4910 大隈内閣の成立経過とこれに伴う訓示
한국사데이터베이스 (history.go.kr)
011_0040_0330 駐韓日本公使館記録 11巻 四. 加藤公使時代極秘書類 (33) [大隈内閣の成立経過とこれに伴う訓示]
文書題目 (33) [大隈内閣の成立経過とこれに伴う訓示]
文書番号
発信日 明治三十一年七月九日 ( 1898年 07月 09日 )
発信者 外務大臣 伯爵 大隈重信
受信者 在韓弁理公使 加藤増雄

(33) [大隈内閣の成立経過とこれに伴う訓示]
本大臣(*私=大隈重信)は今、新内閣の首班に列し、外務の任を兼務している(*「板垣が内務大臣の地位を望んだため、大隈が内閣総理大臣兼外相となり、6月30日に大隈内閣が発足した」)。しかしながら、今回の内閣更迭は従来の内閣制と全くその性質を異にするものであるので、ここに就任の初めに当っていささか今回の更迭に至った事歴の梗概を敍述して貴官の御心得に供したい。
そもそも本年一月の初めに松方内閣が倒れるに当り、新内閣組織の大命が伊藤侯に下ったのだが、伊藤侯は本大臣に向って入閣を進められたのだが本大臣は板垣伯を迎えるのが良いだろうと言って自らは断わって受け入れなかった。そこで種々の事情の下、ついに元老会議を開いた。その結果伊藤侯は板垣伯をも入閣させず、いわゆる超然内閣に組織されることになった。
こうして臨時議会となった。増税案が政府によって提出された。その頃本大臣は伊藤侯に親しくしていたので話のついでに、
「次の財政を整理するために新税源を求めることは可能であるが、地租増徴が一般国民に至ってはまだ容易にその成否を占うことができないので、むしろ本増税案を撤回する方がよいでしょう。」
と友誼上勧告したこともあったのだが、伊藤内閣の所信はこの勧言を容れる地盤がないだけでなく、その中には、国会解散を実施することも避けてはならないとまでの極端論を主張した人もあると言っている。
このようにして増税案がいよいよ議事に上ると予想どおり失敗し、大多数から否決されたので、議会は遂に解散されてしまった。
ここで伊藤侯も到底議会に多数の同志者を得るのでなければ立法・行政両機関を円滑に運転させることはできないことを悟られ、その政策を賛助する政党を設立しようと試みられた。しかしながらこのような企ては固より一朝一夕で出来上がるような事ではないので、たちまち種々の障碍に阻まれたのであった。
こうして伊藤侯はどうしてもその企図を遂げることができないことを看破されたのと同時に、一方には数年来互いに互いに敵視していた自由・進步の両政党が偶然にも利害の同感があって合併し一大政党となり大いに政治上の気運を促すに至っているので、伊藤侯は心自ら決する所があって議会に多数を制することができる者に内閣を組織させるのでなければ終に憲政の円満を期すことはできないことを天皇陛下に申し上げ、先月二十三日の内閣会議において、内閣の去就は元老会議の結果によって決すべきことに一決し、そして元老御前会議は翌二十四日を以て開かれ、伊藤侯よりこの意見を諸元老の前で縷々陳述されたのだが、大体において最早その他に良法はない、ということに帰着し、二十六日に本大臣及び板垣伯に内閣組織の大命を下されたのであった。
そこで謹んでその趣旨を奉じ、二十八日をもって組織を終え、三十日親任式を挙行されることになった。このように前来の内閣制と全くその性質を異にする現内閣の成立を見ることになった。これまた昨年以来の政変に随って促された気運がそうさせた所であり、自然に馴染んできたからと言わざるを得ない。
こうして新内閣は強固に善く団結を保てば、今後進んで財政を整理して、もって富強を図り、外交の事に至っては本大臣が先に本職にあった時の方針に従い、益々帝国の利益を増進するよう努力していきたい。
なおその他に至っては今後随時訓示する所があるであろうから、貴官には善くこの意を体して益々勉励尽力されたい。 敬具
明治三十一年七月九日
外務大臣 伯爵 大隈重信
在韓弁理公使 加藤増雄 殿










0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する