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2021年09月27日00:05

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「ガッテン」「チコちゃん」「ブラタモリ」

 「ガッテン!」を観る。「味覚の減量パワー」特集。

・肥満の人はうまみ舌がバカ(超鈍感)。論文によると、旨み濃度
 が0.03%が分からない人には肥満が多い。番組で実験すると、103
 人中26人が感度が低下している(0.025%が分からない)。

・旨みのある物を食べると、食事量が減る。また、旨み感度が低い
 人には甘味好きも多い。

・感度を上げるには、普段の食事にグルタミン酸(昆布茶や旨味調
 味料など)を加えると良い。食事量も減り、好みの味付けも薄味
 に変わる。旨味受容体が増えるから。

・偏食の人、お酒や辛いものやお菓子ばかり食べていると受容体は
 減る。旨味音痴になる。

・旨味は他の4味を強調してくれる。相乗効果がある。

・糖尿病患者の6割超が味覚障害を伴っている。

→ 私も旨味音痴な気がする。でも、旨味調味料かぁ。嫌いなんだよね、あの味。





 「チコちゃんに叱られる」を観る。

Q:コンセントの穴が2つなのはなぜ?

A:入口と出口が必要だから。
ちなみに左の穴の方が大きい。プラグの目印(アース線)を左にした方が、オーディオ機器などは音が良くなる。クックリハッキリ聞こえる。

→ 3つのコンセントもあるけど?それはともかく、逆でも刺せて便利だから?と思ったら、もっと初歩的な回答だった。そゆことを聞きたかったのか。なぁんだ。小学校レベルのことを聞くんじゃないよ。
コンセントに向きがあるのも知っていたけど、オーディオの音に違いが出るのは知りませんでした。でも私には差がほとんど感じられない。番組の実験はかろうじて正解したけど。


Q:お刺身に菊がついているのはなぜ?

A:お刺身を醤油で食べるようになったから。それ以前は酢をつけて食べていた。なますと言う。酢で保存状態の悪い魚の生臭さを消すためと殺菌効果。でも酢は当時高く、庶民は食べられなかった。
その後、江戸時代に保存状態が良くなり、醤油も登場し、刺身がブームに。醤油を関東でも作るようになり醤油の値段も下がったため。でも殺菌機能が酢ほどは良くないので食中毒が時々出るように。それで、殺菌効果があると信じられていた菊を添えるようになった。
食用菊3位:新潟の「かきのもと」。お浸しで。2位:青森の「阿房宮」。天ぷらで。1位:山形の「もってのほか」。炊き込みご飯で。

→ これは全然分からない。飾り?抗菌作用?と思ったら、かすっていた。


簡易版:もう一度乗りたい鉄道。

3位:嵯峨野観光鉄道。旧山陰線。2位:黒部峡谷鉄道。1位:広島電鉄。未来的な車両、グリーンムーバーが特徴。

→ 3位は、山陰線だった頃に乗ったことがありますね。1位も昔は乗ったことがあるような。グリーンムーバーは乗ったこと無いけど。


Q:レインコートを「かっぱ」と言うのはなぜ?

A:戦国武将がポルトガル語をマネしたから。ポルトガル語でレインコートを「capa」かーぱ、と言う。それ以前は蓑か紙子(柿渋を塗った紙製のぽんちょ)。信長や謙信、秀吉も愛用していた。
カッパは襟付きかつビロードや羅紗製なので暖かく、防寒に良いので戦国時代に流行した。カッパを真似して陣羽織が出来た。江戸時代に庶民まで広がった。
ちなみに現代ポルトガル語で「capa」は物を覆い隠すもののこと。カバーや作り笑いなど。

→ 全身、河童のように濡れるから?全然違ってた。ポルトガル語だったのか、なるほど。





 「ブラタモリ」を観る。「淡路島」の回前編。お題は「神はナゼ淡路島を"はじまりの島"にした!?」。

・玉ねぎ・ハモ・タイなどが名産。200種類以上の食用魚が取れる。
 南北53km東西28km。

・新種の恐竜の化石が見つかっている。学名イザナギイ。

・古事記神話によると、日本で最初に出来たのが淡路島。おのころ
 島に住んでいた夫婦神が最初に産んだのが淡路島。

・島の北端には幕末に作られた台場跡がある。古来、関西圏防御に
 重要な場所だった。南側は鳴門の渦潮があるので、北側を守れば
 防御になる。

・北部には野島断層が走る。阪神・淡路大震災の原因の活断層の一
 つ。今もズレを観察出来る階段が残る。断層保存館もある。もっ
 と古い断層で出来た山も、近くにある。プレートの圧縮で、伊勢
 湾と奈良盆地と大阪湾が凹み、鈴鹿山脈と生駒山地と淡路島が盛
 り上がった。

・少しズレた断層が左右にズレると、中間地点に陥没が生じる。こ
 の陥没が、明石海峡になっている。50万年前の出来事。それまで
 播磨灘は海ではなく湿地帯。それが陥没で明石海峡が出来、海水
 が湿地帯に流れ込み、海となった。淡路が島化した。

・五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡。古代竪穴住居跡。鉄器を作る
 工房跡も残る。矢尻や小刀。弥生時代、朝鮮からの先端技術を習
 得していた。つまり航海術も発達していたと考えられる。海人(
 あま)が海外との交流を担っていた。軍事力も保有。

・北端から3分の1の場所には伊弉諾神宮がある。冬至の日の出の
 方角には熊の大社が、春分の日の出には伊勢、夏至の日没の方角
 には出雲大社が、夏至の日の出の方角には諏訪大社がある、など
 神社の中心点になっている。

→ 古代の話は楽しい。陥没の話がダイナミック。弥生時代から航海術が発達していた、というのも意外。
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