8月10日。宿泊していた青森の宿にはTVも無く、世の中の動向がよく分かりません
とりあえず計画していた「種市でホヤ刺しを食べる」を実行する為に、青い森鉄道の始発で八戸へ向かいます。車中、八戸線と大湊線が土砂崩れ流入で運休している事を知り焦る
車窓から見える光景もかなりヤバイ感じです。
八戸で、乗っている電車でそのまま引き返しました
上北の辺り、往路より川の水嵩が増してて決壊寸前な様子。
農業用水は既に溢れ始めてます。
画面左が水路で、右方向の休耕地にどんどん水が流入しています。
この日は仕方がないので、青森市内の宿で天候が落ち着くまで不貞寝
夕方、小雨に成って風も弱まってから八甲田丸へ行き、機関長の宿題を片付けます。受付のオバチャンは新人でしたが、大ホールで作業中だった女性職員さんが私を見つけて駆け寄ってきて滅茶挨拶され怯む
翌11日早朝の青森駅。
既に解体が進行しており、旧駅舎は映画「いとみち」が見納めと成ります。
画面鉄骨が剥き出しの部分が旧跨線橋の跡。
車両は五能線ハイブリッド観光快速「リゾートしらかみ」。その後ろに次の便の弘前行普通列車が控えてます。青森駅はホームが長大な上にさらに海側でスイッチバックも出来る為、こうした運用が可能。その向こうに見える跨線橋は保存されてる青函連絡船乗り換え用のもので現在は使えません。
津軽線(旧津軽海峡線)で蟹田駅に向かいます。
車窓から見た津軽森林鉄道本線跡の道。
駅跨線橋からの様子。
向こうが三厩方面。
蟹田までが電車で、ここから先は気動車運用と成ります。ここでも気動車は新型に置き換わりました。
跨線橋は乗客用と、駅の東西を行き来する歩道橋が兼用で、それぞれの通路は柵で遮られてる構造なのが面白いです。
駅スタンプ。
トゲクリガニの観光駅長「津軽蟹夫」さんはもう居ません
改札とは反対の駅北西側の森林鉄道廃線跡に来ました。
画面左が駅で、貯木場があったと思われます。
青い建物の向こうに森林鉄道の蟹田停車場があったと思われます。
再び改札口のある駅南東側に戻ってきました。
白い時計台は機能していません。
その左画面外には駅前市場「ウェル蟹」があります。朝ドラに影響された命名でしょうか
画面右手の公園は、弘前藩「蟹田町奉行所」跡です。
駅前通りを進むと、国道280号に突き当たります。
左折して北に向かうと、前方に城址が見えてきました。この辺りが蟹田宿だったようです。
道沿いには太宰治作品登場の建物がいくつかあったものの、現在は全て解体されてて現存しません。
味わい深い昭和の平屋。築60年くらいでしょうか。
海は向こうで、海岸の街らしい土地利用の光景が続きます。
医院跡
とはいえ、それなりの建物規模なので所謂「有床診療所」か、医院ではなく病院だったようで判断が迷う微妙な感じです。
蟹田川。
上流に少し行くと大平山元縄文遺跡があります。
石造の蔵が超気に成ります。
雪害対応の消火栓札。
城址「観瀾山館」の麓まできました
水準点の表示もあります。
稲荷神社の参道から頂上まで登ると・・・
眼下に蟹田港。
塔はターミナルに備えられた展望台「トップマスト」。
駅は画面右端真ん中辺りです。
城址一郭には「太宰治文学碑」を始め石碑が凄い数です。
文学関係がもの凄く多いですが、「久邇邦久王殿下、お手植の松」、同書「観瀾山」、「故若葉山東奥日報十四才初出場」、「タイ国ハワイ総領事スナオ・ミヤバラ夫妻来町記念」、「駐日フィリピン大使カルロス・テパルデス夫妻来町記念」とか、何でもネタは片っ端から石碑にしてしまった印象です。
勿論、戦没者慰霊碑もあります。
展望室窓より。南東方向になります。
港の左は海水浴場です。
城址の尾根をさらに少し北に進むと幕末の砲台「中師台場」です
日頃お世話に成っている、かっぱ先生に食べてもらう為に沢山生えてるキノコを採取しましょう。
城址に見えた鳥居は「観瀾山公園三十三観世音」です。
地蔵堂の手前にマニ車があるので、狂ったようにグルグル回します
下北半島を眺めます。右は鯛島。
船は二日前に青森港に着岸してきた水産庁漁業取締用船「洸星」(本部所属。取締船で最大)で、再び沖に出るところです。
城址を東側に降りますが、結構な断崖です。
むつ湾フェリー「かもしか」が脇野沢港から蟹田港に向かって戻ってきます
青森港に台風避難していた商船も続々と出航していきます。
地上からお台場を見上げたところ。
城址が手前方向です。
海水浴場防波堤の用途不明広場から見た城址。
建物の右側に縦堀らしきものも窺えます。その右の鉄塔はJR無線塔
「かもしか」が一生懸命航行してる様子。
船体規模は瀬戸内海や気仙沼などの近海島嶼部の前後対象形渡し船と変わらない小型フェリーですが、いかんせん荒れる津軽海峡の海象条件に適応する為に一般船形(バルブ付き)でしかも波浪対応の船首ブルワークが強烈です
着岸しました。
ハッチが開きます。
繁忙期だけに結構車が乗ってます。下北の東側の交通が麻痺しているので、直接南下せずに陸奥湾を津軽側に渡って本州に戻ろうと考えたドライバーやバイカーも居ると思います。
沖を行く津軽海峡フェリー「ブルーマーメイド」函館→青森。
乗船は車→単車→徒歩乗船ですが、乗船受付から出航までの時間にそれぞれバラバラと来るので必ずしもルールに縛られる訳ではありません。
ボーディングブリッジは無いので、徒歩乗船も岸壁からランプに渡って乗り込みます。
車両甲板から客室に上がる階段、左舷側には徒歩困難者用にリフトとラックレールが設けられてます。
二階前方に客室。客席数は搭載車両数に対して充分で、港で観光バスを降りたツアー客が徒歩で船に乗り、先方の港で別のチャーターバスに拾ってもらうといった使用法にも対処出来ます。
二階後方にはテーブルがある宴会場的な「特別室」もあって、入室券五百円を自販機に払って使える仕組み。
蟹田港。駅は鉄塔の向こうです。
かもしかの船籍は「外ヶ浜町」ですが、市町村合併で蟹田と三厩が合併したものの、間には今別町があって、さしずめ西パキスタン・東パキスタン(現バングラデシュ)みたいな状態です。
スタンプを乗船券の裏に押してみました。
函館へ向かう津軽海峡フェリー「ブルールミナス」。
左が津軽半島、右が下北半島、真ん中が津軽海峡で、空気が澄んだ日は函館が見えます。
つまり対岸の山が水平線の下に成ってしまう程には離れていないって事ですね。
出航しました。
蟹田は船首着岸なので船首スラスターを使いクルリと方向転換します。
観瀾山の舌状台地が絶妙な位置にあり、城や台場が築かれたのは必然である事が分かりますね。
真ん中で光るのは「液化ガスターミナル(株)」のタンク。
背景は八甲田山系。
青函フェリー「あさかぜ21」。
船首の向こうに見える建物群は浅虫温泉のホテル。
下北半島西岸に接近。
手前から北に向かって安山岩玄武岩などの溶岩が海に向かってせり出しており、柱状節理方状節理が地蔵のごとく並んで見える辺りは「仏ヶ浦」として海上観光名所と成ってます。
「鯛島」。
クジラの潮吹きに見えるのは陸奥弁天島灯台。
周囲には操業中の漁船が結構見えます。
脇野沢港に到着です。
船尾着岸なので、180度向きを変えます。
画面を真っ直ぐ内陸に入って行くと、有名な「北限の猿」生息地です
南西方向を見ています。
画面左手は愛宕山で愛宕山神社があります。その左が鯛島。
海の時化が強く成ってきて漁船が次々と戻ってきます。
着岸作業中。岸壁側には超ベテランが一人しか居なくて、前後の舫を単独で受け持ちます。
ウインチの稼働時間を短く稼ぐ為、舫は直接岸壁のボラードにかけられず、ボラードから固定ロープが伸びていて、それに船の舫のループをかける仕組み。右甲板手の先にあるのがループを引っ掛ける仕組みの部分。
蟹田で船首から乗った車はそのまま船尾に進んで降りるシステムです。
ランプを降ろします。その手前が操作盤。右手岸壁にはベテランの綱取り係が居ます。
下船は乗船と逆の順番なので、この時点で慌てて下に降りる必要はありません。
車が下船を開始しました。
次は単車が発進して行きます。
単車は船首側面のポケット状の専用駐車位置に。
トコトコ歩いて下船しました。
脇野沢の港町へ
実は訪問は二度目で、前回は青森から小型旅客船「ポーラスター」で佐井村へ、復路で脇野沢下船したのでした。
左手、風化した防波堤跡がかつての海岸です。
右が海。埋め立ての海岸線までの縦深と、港の外側の防波堤が今では街を高潮被害から守っています。
もう十年以上は動かした気配がない漁業用ケッジ(小錨)が良い味出してます。
観光艇「夢の平成号」
仏ヶ浦見物や、カマイルカのウオッチング、鯛島上陸などに利用されますが、残念ながらこの日は海象条件が悪く欠航
「かもしか」、チョロQ的外観が可愛らしいと思います。
ブリッジは中心が突出しているインテグレイデッド・ブリッジ・システムで、情報と操作の集約により一人でも操船する事が可能です。
マンホールですが、デザインから、むつ市全体の物ではなく脇野沢周辺用と思われます。
ミラーマン(笑)
仮面ライダーとかウルトラマンとかの形をしたガム販売機の一つで、ジャンク屋から購入したんでしょうけど、なぜ?って感じです。
メイン通りに来ました。地方によくあるシャッター商店街ですが、ここはちゃんと営業しています。
北東を見ています。
突き当りは「脇野沢八幡宮」。
「大場山悦心院」山門。
左は保育園。
三十三観世音観音が残念な感じに成ってます。
味わい深い建物が建ち並びます。
メイン通りから南西方向を眺めます。
奥から大湊方面行のバスが来ました。以前同様に乗ってしまうと大湊線が運休してるので青森に戻れません。
総督ポイントのチェックも怠りなく。
廃墟の左に水場の樋が突出してるのに注目。
右側には動力ポンプ付井戸があり、右隣りの建物は井戸部を切り欠く形で建設されているなど、見所満点です。
屋根と壁の潮風日除けのトタンが消滅するほど朽ちてます。
ここまで来たものの、する事も無いのでまた「かもしか」に乗って戻ります。
二階後方に見える窓が特別室です。
画面遠方が大湊方向になります。
時間帯のせいか、乗船車は乗用車2台のみ。後寄りに配置したので時化シフトかと思われます。
舫は前方を先ほどの港のベテランが、後方を船員自ら外します。
船員が飛び乗った瞬間・・・
船は既にスタートしており、1秒も無駄にしていません。
ランプが上がり、操作盤の蓋が閉じられます。
脇野沢は船尾乗船なのでそのままの進路で陸奥湾に向かいます。
鯛の尾っぽのアップ。
往路に比べると空は晴れ間が出てきましたが、海は逆に波が高くなってます
津軽海峡の方向。
船は大きくピッチング(縦揺れ)で揺れており、船首が上がってる状態です。
鯛島の左にポーラスター。
ローリング(横揺れ)はこんな感じ。
加えて全長が短い上に縦横比が小さい船なのでヨーイング(回転運動)もあって、酔う人は辛いと思います。
陸奥湾の奥方向。
津軽半島方向。
画面やや左に八甲田山、右は青森市街。
竜飛岬。
周辺は漁業や航路を示すブイで一杯です。
蟹田に着岸し、船首ランプが開き始めました。
船員が車を前に誘導して下船に備えます。
風向き(揺れ)を考え、単車は左舷に集中配置されました。
真ん中は舫綱に繋いで岸壁に渡す為の紐を投げる「サンドレット」。これはボール状ですね。
元々は水深と海底の地質(陸が近いか)を測る為の獣脂を付けた鉛の錘を付けたロープで、現代の大型船では砂袋を使う為「サンドレッド」と呼ぶべきだと私は思うのですが如何なものでしょうか
むつ湾フェリーは廃業が噂されており、これが乗り納めに成る可能性もあります。
トップマスト展望台より。
展望台とその階段はメッシュ構造で下から丸見え(上からも真下が見えて怖い)なので、スカートの女性は要注意。
ターミナルの中華食堂は繁忙期にも関わらず休業中
右「ブルーマーメイド」、右「3号はやぶさ」。
「ブルーハピネス」。
むつ湾フェリー
https://www.mutsuwan-ferry.jp/
津軽海峡フェリー
https://www.tsugarukaikyo.co.jp/
青函フェリー
http://www.seikan-ferry.co.jp/
ポーラスター
https://www.sii-line.co.jp/
脇野沢夢の平成号
http://www.city.mutsu.lg.jp/index.cfm/16,82389,32,692,html
駅に戻る途中、またあの石蔵を観察しました。
防火水槽。
壁の鉄板補強が東側ですが、朝陽より潮風対策でしょうか。
「専念寺」。山門が気に成りますが向こうまで行く気力が既に無く。
一方、右手の倉庫やブロック塀がいい感じです。
マンホール。
土蔵、倉庫、ガレージなどを全面トタン張りとするのがこの界隈で流行ったようです。
クラブ付特装車群。
港での荷役に使用すると推測。
再び駅前通り
プレハブ小屋から凄い煙が出てて驚きました。
火事ではなく焼鳥屋「とりやす」の換気扇からで、ご時世柄テイクアウトのみ営業で凄い数の焼鳥を焼いてました。
電話注文したと思われる地元の方の車が次から次へとやって来ます。
私は唐揚げを弁当でなく単品注文。20分ほどかかると言われて、駅前市場「ウェル蟹」へ
https://www.umai-aomori.jp/shop/sanchoku/sanchoku01/welkani.html
お土産はコレ。
唐揚げ出来ました。凄いボリュームで弁当にしなかったのは正解。
駅横の無人観光案内休憩所で食べます。
思った通りかなり美味しい
胸焼けする事も無くペロリと頂いてしまいました。
焼鳥も美味しいに違いありません。次々と注文が入ってるのは他にお店が無いからではなく、これは当然だと思いました。
外ヶ浜非公認萌えキャラ「風乃まち」。
https://ka2en0mach1sotogah.wixsite.com/website
https://aomori.uminohi.jp/report/kazenomachi1/
蟹田駅を後にします。
おしまい。
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