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2021年08月23日09:55

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8月23日 本日の一言メッセージ

ぴかぴか(新しい)〈8/23(月)本日の一言メッセージ+動画+α〉

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22201 〈写真入り記事〉

ラブレター「人を大切にする生き方」

人を大切にするあまり、人を大切にできないという現実はないでしょうか。

喧嘩をしたり、裁判をしている人たちを調べてみると、その多くは、かつては仲が良かった人同士であることがわかります。

戦争している国々を見ると、隣国同士、もしくは、国内での内戦だったりします。

かつては仲が良かった者同士が、一番の敵になっているケースがほとんどです。

なぜそうなってしまうのでしょうか?

それは皮肉なことですが、人を第一にし、人を大切にし過ぎてしまうからです。

人を大切にするあまり、見返りがなかったり、失望した時の落差が大きいので、愛が憎しみに変わるのです。

聖書は、「何にもまさって神を愛し、神を第一にしなさい」と教えます。

神を愛し、神を第一に生きている人には躓きはありません。

昨日の一言メッセージは、「光となるな!」がテーマでした。

人は神より少し低い者として造られました。

自ら発光して輝く存在ではなく、神の光を反映して輝く存在なのです。

自ら発光すると、人はその人に惚れ込み、アイドル視し、特別視するようになります。

その人と距離があり、その人の光の部分だけを見ているうちは、特別な存在ですが、「光があるということは、影もあるもの」です。

そして、影の部分を見た途端、その落差が大きい分だけ躓き、失望し、怒りに変わり、関係が壊れます。

人が神の光を反映して生きているなら、その光が神のものであることがわかるので、その人を特別視することはありません。

人は皆オンリーワンの存在ですが、それぞれに優劣はなく、その意味で特別な存在はいません。

みんな弱く、罪深い存在であると認識するなら、最初からわかっているので躓くことはありません。

むしろ、弱い存在なので助け合う必要がありますし、罪深い存在なので許し合い、大目に見て受け入れ合うようになります。

人を大切にするためには、神を神と認め、受け入れ、神を中心に人間関係を築くことが必要です。

神を信じない人が良い人間関係を築き、神を信じる人が良い人間関係を築けない現実を見ることもありますが、そこには個体差があるので、惑わされないで下さい。

神抜きで成功し、うまくやっている人を見て、羨ましがったり、それに倣らわないで下さい。

聖書は次のように語ります。

〈詩篇 37篇〉
1,悪を行う者に対して腹を立てるな。不正を行う者に対してねたみを起こすな。
2,彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。
3,主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。
4,主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
5,あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
6,主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
7,主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。
8,怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
9,悪を行う者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。
10,ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。
11,しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。
12,悪者は正しい者に敵対して事を図り、歯ぎしりして彼に向かう。
13,主は彼を笑われる。彼の日が迫っているのをご覧になるから。
14,悪者どもは剣を抜き、弓を張った。悩む者、貧しい者を打ち倒し、行いの正しい者を切り殺すために。
15,彼らの剣はおのれの心臓を貫き、彼らの弓は折られよう。
16,ひとりの正しい者の持つわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる。
17,なぜなら、悪者の腕は折られるが、主は正しい者をささえられるからだ。
18,主は全き人の日々を知っておられ、彼らのゆずりは永遠に残る。
19,彼らはわざわいのときにも恥を見ず、ききんのときにも満ち足りよう。
20,しかし悪者は滅びる。主の敵は牧場の青草のようだ。彼らは消えうせる。煙となって消えうせる。
21,悪者は、借りるが返さない。正しい者は、情け深くて人に施す。
22,主に祝福された者は地を受け継ごう。しかし主にのろわれた者は断ち切られる。
23,人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。
24,その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。
25,私が若かったときも、また年老いた今も、正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を請うのを見たことがない。
26,その人はいつも情け深く人に貸す。その子孫は祝福を得る。
27,悪を離れて善を行い、いつまでも住みつくようにせよ。
28,まことに、主は公義を愛し、ご自身の聖徒を見捨てられない。彼らは永遠に保たれるが、悪者どもの子孫は断ち切られる。
29,正しい者は地を受け継ごう。そして、そこにいつまでも住みつこう。
30,正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を告げる。
31,心に神のみおしえがあり、彼の歩みはよろけない。
32,悪者は正しい者を待ち伏せ、彼を殺そうとする。
33,主は、彼をその者の手の中に捨ておかず、彼がさばかれるとき、彼を罪に定められない。
34,主を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる。あなたは悪者が断ち切られるのを見よう。
35,私は悪者の横暴を見た。彼は、おい茂る野生の木のようにはびこっていた。
36,だが、彼は過ぎ去った。見よ。彼はもういない。私は彼を捜し求めたが見つからなかった。
37,全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には子孫ができる。
38,しかし、そむく者は、相ともに滅ぼされる。悪者どもの子孫は断ち切られる。
39,正しい者の救いは、主から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。
40,主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる。彼らが主に身を避けるからだ。

人を特別視することをやめて、神を特別視し、神を何にもまさって愛し、第一にしていきましょう。

神は変わることがなく、愛であられ、正義のお方です。

この方を中心に生きて、間違いはありません。

その時、本当の意味で人を大切にする人になれるはずです。


🧡<毎日更新>【動画メッセージ】
『「神前意識」と「敵前意識」を持とう!』
https://youtu.be/oVHRrKtVvV0


ハート(紫)<週毎に更新>【8/22(日)新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/K8_bOyJwzeI 〈朝礼拝〉


ハート<毎日更新>【8/15(日)大久保駅 路傍伝道】
https://youtu.be/5qMhHuIl9XY 〈後半〉


ハート(緑)<ドキュメンタリー番組>【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY


ハート(矢)「編集後記的メッセージ 『クリスチャンが使う「躓く」の意味』」

クリスチャン同士の会話の中で、「これは躓きになるからやめた方がいいのではないですか?」と言われることがあります。

何か新しいことをしようとすると、そのような言葉で規制し合うことがあります。

私の友人牧師はベンツに乗っていますが、一昔前だったら、大騒ぎだったかも知れません。

「信徒たちが捧げた献金でぜいたくをしている」と。

今から何十年前の話ですが、牧師が海苔のついたせんべいを食べたら「ぜいたくだ!」と言われた時代があります。

教会には、牧師館が付属されている場合があり、日曜日になると信徒たちがずかずかと部屋に入って来ますので、海苔のついたせんべいを押し入れに隠して、海苔のついていないせんべいをテーブルの上に置いたという話を聞いたことがあります。

「躓き」ってなんでしょう?

「神を信じることに対する妨げ」のことを言うのでしょう。

「わたしを信じるこの小さい者たちの一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首にかけられて、海の深みに沈められるほうがよいのです。つまずきを与えるこの世はわざわいです。つまずきが起こるのは避けられませんが、つまずきをもたらす者はわざわいです」(マタイ18:6〜8)。

「また、わたし(イエス)を信じるこの小さい者たちの一人をつまずかせる者は、むしろ、大きな石臼を首に結びつけられて、海に投げ込まれてしまうほうがよいのです」(マルコ9:42)。

「石臼を首につけられて、海に沈められる」なんて聞くと、やくざの世界の話のようで怖いですが、イエス様は、何が人を躓かせると語られたのでしょうか?

ぜいたくをしないで、きよく貧しく清貧になることが人を躓かせないことなのでしょうか?

人と争わず、自分の意見を語らず、品行方正に生きるならば、人を躓かせないのでしょうか?

イエス様が語られた「わたしを信じるこの小さい者たちの一人を躓かせる者」とは、「天の御国では、いったいだれが一番偉いのですか?」という妬みと主導権争いをする弟子たちです。

「これは人を躓かせるからやめた方が良い」と、人の士気を挫くような規制はやめましょう。

そして、傷ついた人が出た時に、傷つけたと思われる人を、安易に「躓かせた」と裁くことはやめましょう。

�″気�を与えるものは、他ではない、自分の中にある「妬みと争い」にあるのです。

「なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます」(マタイ7:3〜5)。

�⊆,法�躓きとなるものは、聖書以外の基準で人を裁き、規制したパリサイ人律法学者たちの教えと彼ら自身です。

「しかし、イエスは言われた。『おまえたちもわざわいだ。律法の専門家たち。人々には負いきれない荷物を負わせるが、自分は、その荷物に指一本触れようとはしない』」(ルカ11:46)。

��グレーゾーンのことを侮ったり、裁くな。

「あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません」(ローマ14:1)。

冒頭でお話した、牧師がベンツに乗ること。牧師の家族が海苔のついたせんべいを食べることなどは、聖書が黒白付けていることではないので、明らかにグレーゾーンです。

新型コロナのワクチンを打つか打たないかは、これもグレーゾーンです。しかし、打つ派、打たない派、それぞれが熱くなる現実はないでしょうか?

自粛警察を退職された方がほとんどですが、未だに存在します。これは良い動機で始まったことでしょうけれど、「警察」何て言う名称にふさわしくないほどの明らかに犯罪だと思えることをする人たちがいました。

グレーゾーンは尊重し合い、認め合いましょう。

そして、自らも躓かないようになりましょう。

躓きの石が転がっていたら、跨いで歩いて行けばいいのです。

�ず埜紊法∈蚤腓零気�は、「イエス・キリスト」ご自身です。

イエス様ご自身が、「わたしに躓かないものは幸いです」と言われましたが、実に多くの人がイエス様に躓いています。

日本の99%の人たちがイエス様に躓いていますし、聖書をそのまま信じない教会や牧師は、イエス様に自分と信者が躓かないように、勝手な教理を発明してそれを採用しています。

イエス様は、「わたしが道である」「わたしが門である」と語りました。

イエス様だけが救いの道なのです。ですから、細い道であり、狭き門なのです。

聖書をそのまま信じられない人は、すでにイエス様に躓いているのです。

私たちは、人に対して、「人を躓かせるから・・・」と人を規制したり、裁く以前に、自分自らが、イエス様という躓きの石に躓いていないかを吟味しましょう。

「しかし、イスラエルの2つの家にとっては妨げの石、つまずきの岩となり、エルサレムの住民には罠となり、落とし穴となる」(イザヤ8:14)。

この聖句をローマ書は引用して下記のように記しています。

「信仰によってではなく、行いによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。『見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。この方に信頼する者は、失望させられることがない』と書いてあるとおりです」(ローマ9:32〜33)。

みなさん、イエス様は、「シオンに置かれた、つまずきの石、妨げの岩」ですが、「この方に信頼する者は、失望させられることがない」のです。

他の何に躓いても、イエス様に躓かない人となりますように。

同時に、お互いがイエス様につながれるように互いに励まし合ってまいりましょう。
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