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2021年08月21日23:16

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マンガの「革新」のただ中で/追悼・みなもと太郎さん

■みなもと太郎が心不全で死去、代表作に「ホモホモ7」「風雲児たち」
(コミックナタリー - 2021年08月20日 12:27)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=86&from=diary&id=6636190

 昨日から今日に掛けて、私のTwitterのタイムラインを追悼コメントが埋め尽くした。漫画家さんや漫画評論家の方を何人もフォローしているから当然のことではある。ああ、こんなにたくさんの人に、みなもとさんは愛されていたのだなあとしみじみ思う反面、かけがえのない大切な人を失ってしまったという喪失感もまた決して小さくはない。
 夏目房之介さんが『風雲児たち』を評して「漫画史に残る」と仰っていたことにはもちろん首肯する。
 けれどもそれは『風雲児たち』にのみ与えられる賞賛ではないだろう。みなもと太郎という存在自体、希代の逸材であったと言うべきことではないだろうか。それくらい、みなもと太郎が後世に与えた影響というのは大きいのだ。

 私がみなもと太郎の漫画に最初に触れたのは、ご多分に漏れず『ホモホモ7』だった。
 まずはそのタイトルが斬新だった。記号で書くなら「♂♂7」。もちろん、OO7=ジェームズ・ボンドのパロディキャラクターだ。おそらく漫画の中に「ホモ」という単語を堂々と持ち込んだのは、みなもとさんが嚆矢だろう。そして、主人公が敵対する悪の組織の名は「レズレズ(♀♀)ブロック」。当時、小学校の低学年だったいたいけな子どもたちの多くが、「ねえ、ママ、『ホモ』っなぁに、『レズ』ってなぁに?」と言って、親を困らせたことだろう。
 ホモホモ7は男で、レズレズブロックのスパイたちは全員女だ。しかし、現在のように同性愛的な意味合いは強くなくて、毎回、主人公は女スパイと恋に落ちたり落ちなかったりする。最後は裏切られて哀しみの涙を流すのがお約束のパターン。
 原典にある毎度の拷問シーンも、ボンデージ姿の女スパイがしっかり鞭を持ってやっちゃうくらいだから、パロディとしては物凄く真面目だ(真面目だけどよく少年誌でやれたものである)。
 実際、小出しのギャグを除けば、ストーリー展開そのものに大きなおふざけはない。
 ギャグ漫画に見せかけたシリアス漫画、それがまず衝撃的だったのだ。

 みなもとさんが開発した「漫画表現」の数々もまた斬新だった。
 『ホモホモ7』の主人公は、点目に1本線の口だけの単純な絵柄、3頭身の寸詰まりのキャラクターで、はっきり言えばただのラクガキだ。背景も小学生が描いたような(あるいは全く描かない)手抜き作画で、そこに下手糞な描き文字の擬音がベタッと貼り付いている。ギャグ漫画だとしても、どうしてこんなに汚い絵を描くのか、という不快感すら当時は覚えていた。
 ところが、レズレズブロックの女スパイたちとなると――劇画から抜け出てきたのかと言わんばかりの美麗なデザインの8頭身の美女たちに描かれているのだ。
 あまりのその絵柄――いや、「画力」の落差に、女性キャラは別の作家かアシスタントに描かせてるんじゃないかと当時は疑っていたほどであった。

 しかし、みなもとさんは、他の作品も全て、この手法で描かれていた。この両極端なキャラは、等しくみなもとさんご自身の筆によって生み出されていたのだった。
 汚ねえ男なんて描きたくねえ、ワシが描きたいのは可愛くてセクシーな女の子なんじゃい!という思い切り男性サベツなギャグだったのである。
 もっとも、後年はそのラクガキキャラも、描線がスッキリと整理されて、フツーのギャグキャラとしてみなもとワールドを縦横無尽に駆け巡ることになる。

 みなもとさんが、この斬新な手法を何をきっかけにして思いついたのかはよく分からない。
 ただ、昔は、漫画家同士が「合作」することはよくあった。トキワ荘の面々がU・マイア(赤塚不二夫・水野英子・石ノ森章太郎)、いずみあすか(赤塚不二夫・石ノ森章太郎)のペンネームで合作していたのは有名だ。藤子不二雄『オバケのQ太郎』も、実質、藤子F・藤子A・石ノ森章太郎・長谷邦夫ほか、スタジオ・ゼロによる合作作品だった。
 それらの作品では、各人による違った絵柄のキャラクターが混在しているのは当たり前だった。『オバQ』のよっちゃんなど、最初石ノ森さんが描いていたものが、長谷さんが描くときもあれば藤本さんが描くときもあって、という具合に、コロコロ変わるのである。おおらかと言えばおおらかだが、読者にしてみれば混乱させられること半端ではない。どう見ても別人なんだけれど、「よっちゃん」と呼ばれるから、ああ、これはよっちゃんなんだなと認識するしかないのだから。
 しかし、この「絵柄の混在」が、読者に違和感を与えつつも、逆に面白いような気にさせてしまうという不思議な効果を生んでいたことも紛れもない事実である。みなもとさんは、そのことに気づいたのではないだろうか。

 つまりみなもとさんの「絵柄の混在」は、この違和感を故意に作り出した、言わば「一人合作」の産物なのである。
 好きなキャラは一生懸命、丁寧に描くが、どうでもいいキャラやモブキャラはいい加減、という手法は、締め切りに追われる漫画家のみなさんには大変重宝したので(笑)、模倣する漫画家が続出した。少女マンガのヒロインがいきなりギャグ顔になったりするのも、この手法の変形である。
 みなもとさんは後に所属していた「作画グループ」で、『アキラ・ミオ大漂流』ほか、多くの「合作」を手がけ、リーダー格のスタッフとして活躍された。そのノウハウは、数多くの先達の作品を読み、自らも「実験マンガ」を描き続けてきたことで培われた技術だったのだろう。同人誌の枠を超えた活躍と成功は、後進への指針となったし、希望の光だった。

 『ハムレット』『レ・ミゼラブル』などの世界名作のマンガ化シリーズを通して、みなもとさんは更なる新境地を迎える。
 通常のドラマ展開は、極めて古臭い、戦前の『のらくろ』にも見られたような、登場人物を上手と下手に配置しただけの単純な構図で描かれる。それがドラマが高潮してくると、突然の大ゴマ、あるいは見開きに移行して、カメラアングルも多様化した空間を意識したレイアウトに変化する。
 まるで「活動写真」が、初期の舞台中継からいきなり「映画」に進化したように、一つの作品の中でマンガ表現が進化する。それが「ドラマ」を生み出す。それをみなもとさんはやった。

 そしてそれらの手法は、『風雲児たち』シリーズに結実することになる。
 綿密な調査と、独自の歴史観が評価されることが多い『風雲児たち』だが、まずは何よりも本作は「マンガ」なのである。「マンガ」の魅力をいかにして最大限に引き出すことができるか。それに挑戦した作品であったことは、今以上に高く評価されなければならないことだろう。

 スターシステムを取っていたみなもとさんは、これまでに開発してきた様々なキャラクターを総出演させ、それでも足りずに新たなキャラクターも創案していった。
 主人公格になるはずだった坂本龍馬はホモホモ7、吉田松陰は『冗談新選組』の沖田総司(本作の沖田総司は別キャラになったからややこしいね)、近藤勇は『あどべんちゃあ』の大口センパイが『ホモホモ7』『冗談新選組』に続いての登板、といった具合だ。
 しかし、みなもとさんの才能に舌を巻いたのは、新規作画されたキャラクターたちが、実際に残されている画像を元にしていながら、マンガのキャラクターとして昇華されていたことである。
 ご自身も自画自賛されてたけど、小早川秀秋なんか、本当に「あんな顔」してたんだからね。

 特に「蘭学黎明編」の平賀源内、杉田玄白、前野良沢らは、もう元の肖像画が思い出せず、みなもとさんのキャラクターデザインが刷り込まれてしまっているって人も多いのではないか。
 そうなったのは、まさしくあのデザインによって、マンガとしてのドラマが成立していたからだ。

 『蘭学(東)事始』(ターヘル・アナトミア)の出版を渋る良沢。
 予告を出しながら、出版にこぎつけられないことで、いらだつ玄白。
 激昂した玄白は、つい「禁断の言葉」を口にしてしまう。
 「あなたの方が、よっぽど名利の欲を求めている。ささいなミスでも、自分の名前にキズがつくのがこわいんじゃないか。そうではないと言えますかッ!」
 それまで単純な構図だった、二人のやりとりが、ここで二人のそれぞれのアップに切り替わる。激怒する玄白と、顔面蒼白となる良沢。はっと気づく玄白。
 時が止まったように、対峙する二人が、見開きで描かれる。
 太字のゴシック体で、玄白の心の声が、背景のない白い画面にくっきりと描かれる。
 「いってはならないことをいってしまった……!」
 おそらく、多くの読者が、掲載誌の『コミックトム』を読みながら、このシーンで言い知れない戦慄に襲われたのではないか。これはとても「感動」なんて陳腐な言葉で言い表せるものではない。これは、まさしく日本マンガ表現が進化してきた果ての、一つの到達点であった。

 それだけの作画が可能だったのは、みなもとさんが徹底的にマンガを研究し、マンガの可能性を追求してきた積み重ねがあったからだ。
 その研究の成果は、まだ第1巻が出たばかりだった『マンガの歴史』に結実するはずだった。『風雲児たち』の未完もそうだが、『お楽しみはこれもなのじゃ』や『日本漫画大辞典』のアップデート新刊の望みも失われてしまった。
 みなもとさんの逝去によって、私たちが日本の文化からどれだけの損失を被ったか。その事実を日本のマンガファンがどれだけ認識しているのだろうか。
 これだけの偉人が亡くなったのに、テレビは全然訃報を流さないんだよね。まるでみなもとさんの存在がなかったかみたいに。悔しいよ。

 合掌。
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