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2021年08月16日11:02

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★フィッツ=ジェイムズ・オブライエン『失われた部屋』

14-2
空山基画
『失われた部屋』
フィッツ=ジェイムズ・オブライエン作
図像
https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=321809215
『金剛石のレンズ』
https://blog.goo.ne.jp/ego_dance/e/38244cfa0eee06150769d663024ddd96
 同じオブライエン作の装画だが、『金剛石のレンズ』の方がわかりやすく、ガイドしやすい。サンリオSF文庫では「ダイヤモンドのレンズ」というタイトルの作品に当る。なお『失われた部屋』も、『金剛石のレンズ』も短編集である。『失われた部屋』に4篇追加され、全面改訳されたものが『金剛石のレンズ』である。

 「ダイヤモンドのレンズ」は、この世で最も高価で最も硬いダイヤモンド、しかも140カラットのローズダイヤを惜しげもなく研磨してできたレンズを使った顕微鏡で、水滴を覗くと、なんとそこに絶世の美女が暮らしている という設定なのだ。

 顕微鏡を覗いて世界で初めてのビックリの発見をし、報告しているのは、オランダの呉服屋レーベンフックであった。彼はレンズ磨きを趣味にし、1674年原生動物の発見、1683年細菌の発見という偉業を成し遂げる。レーウェンフックの観察は「強い欲求と好奇心のみに突き動かされて」いたが、「自分以外にこの町で同じことをする者は誰もいない」、人々は皆、金儲けや成功を手にすることばかり考えている。「莫大な時間と金のかかる研究ができる者はほとんどいない」と、(イギリスの王立)協会に書き送っている。自分の情熱が世間一般には浸透しなかったことにレーウェンフックは気づいていたのだ。「世界は微生物であふれている、だから何だ」と人々はいう」
(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/080400292/)

 レーウェンフックの時代、「ダイヤモンドのレンズ」のような作品は書かれようもなかったのだ。かれの時代からほぼ200年の間、顕微鏡は貴族やお金持ちの趣味や飾り物
(http://www.microscope.jp/history/03.html)でしかなかった。水滴の中にほんとうに美女がいると妄想なし幻想が作品として表現されていたならば、我も我もと140カラットのローズダイヤを研磨してでもレンズを使った顕微鏡を製作させ、覗いたことだろう。
つまりは顕微鏡が道楽の対象でなくなり、科学や医療の道具になった19世紀半ばだからこそ、「ダイヤモンドのレンズ」の作品世界は成立しえたのだろう。
 1858年に発表された「ダイヤモンドのレンズ」の前年に、自然発生説を否定したパスツールの実験がなされている。遡って1838年にはシュワンとシュライデンによる細胞説が発表されているし、1855年になると細胞は細胞からのみ生まれるというウィルヒョウ説が発表されてもいる。
 1861年には、腐敗が微生物の仕業であると主張した、フランスのルイ・パスツールは細菌学の開祖とされる。その後、多くの病気が細菌などの微生物感染によるものであることを証明したのは、ドイツのロベルト・コッホだ。「感染症に対する具体的な治療法を開発したのは、日本の北里柴三郎だ。彼は一八八九年、不可能とされていた破傷風菌の純粋培養に成功。その翌年には破傷風の治療法として世界初の血清療法を考案した。」
(https://www.terumo.co.jp/challengers/challengers/28.html)

 こうしてみてくると、1858年に発表された「ダイヤモンドのレンズ」は分水嶺でぎりぎり発想しえたことがわかる。分水嶺の前では生命は小さな細胞から成り立っているからには微小世界の美女が存在しえるのではないかという発想が煮詰まっていくだろう。しかし分水嶺を越えると、腐敗や多くの感染症が美女どころか微小世界の魔女として形象されかねない。
 それにしても、誰でもこのような作品を創造し得たわけではない。フィッツ=ジェイムズ・オブライエンという特異な経歴をもち、格別異質な才能を秘めた人物であったればこそ創出しえたのだろう。
 1828年、かれはアイルランドの最南部コーク県で産まれる。後に「ケルトのポー」といわれる所以である。1849年、祖父の遺産を相続し、ロンドンへ行き社交界へ加わる。2年半で8000ポンドもの相続財産を使い果たしてしまう。そこがなんともユニークといえば、いえなくもない。
 1852年、ロンドンからニューヨークに渡り、雑誌や新聞に小説や評論を発表。その点、南部の奴隷主階級社会のご婦人がたを主な読者層にしたポーとは異なり、認められやすかったのではないか。ニューヨークでは再び瀟洒な生活を送ることができたが、今度は自分の稼ぎによる。ブロードウェイなどの毎週の晩餐会で、オブライエンはパーティーを盛り上げる中心となっていくこともできた。

 1861年南北戦争の勃発と共に、北部陣営ニューヨーク州兵軍第7連隊に入隊。1862年小競り合いで左肩に重傷を負い、早すぎる死を迎える。33歳であった。
 これ以降、人類はまさしく「黄昏の時代」に入り、やがて20世紀前半の暗闇を迎え、大量虐殺が横行する。

 最後になったが、サンリオSF文庫のカバーアートに触れておかねばならない。女性のハイヒールを履いた綺麗な脚に手錠ならぬ足枷がかけられ、その鎖が男の耳の黒々とした部分を通り、男の頭蓋の中に消えている。これは何事なのか。人類が「黄昏の時代」から20世紀前半の暗闇へと転がり落ち、大量虐殺を横行させた男性原理の内宇宙の闇を露呈し、象徴しているのではあるまいか。

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