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2021年08月15日23:38

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ハルハ川戦争・ノモンハン事件の体験談継承

今年の終戦の日が終わる前にちょろっとだけ、ハルハ川戦争、曾祖父曰く「再びの日露戦争」のお話を。
曾祖父は、ハルハの農園で墜落した陸軍航空部隊員操縦士。敵地故、命を諦めたそうだ。
落ちたのは作物の育てられているハルハ族の暮らす居住区の農園。
農園主人は仰った。
怪我人に命の優劣も敵味方も無く、故に平等な人間、無下にしてくれるものかと。
おかげ様で、生前の曾祖父はチャハルモンゴル語とハルハモンゴル語も話せた。
ソビエト拘留から助けて下さったのもハルハのこの農園主人と区の住人の方々であった。
帰国はその農園主人の手によるもので、見事曾祖父は前職の木工職人という日常に戻った。

幼い私を抱える曾祖父は、古傷の生々しい跡を見せながら、
「何もかんも戦争が悪い」
としばしば口にした。ある時曾祖父に、私の方から「戦争は悪い事だよね」と言った事がある。
答えは「否」であった。
「戦争が悪いと思ったのは私の思い出から、私が出した自分勝手な我儘なんだよ」と。
当時の私は面食らっていたと思う。回答が返ってこない事に気づいたのか曾祖父は、申し訳なさそうに、それでもハキハキと伝えようとしてくれた。
「誰かが悪いと決めたから悪い。本当に?決まりが変われば途端に、自分が犯罪者かも知れないよ」
今であれば意義の浅い知識で遮ってたかも知れないので、本当に幼さに救われたものだ。
曾祖父は続けてこう言った。
「悪いかどうかは自分で判断しなさい。悪いから悪いでは思考停止だ。たった一本の梁でも狂えば家全体がきちんと建てられないんだ。そんな家に住みたいかどうかというのも、未来の世代に任せる。そう俺の意志で決めているからな」
曾祖父が亡くなってから何年の月日が経っただろうか。私は語り手二世を目指してはいるが、まだまだ未熟だと感じる日々である。

(※ プライバシー保護の為、記録より一部の表現(方言と人称)を変更しています。)

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