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2021年08月09日22:22

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「お得」をコーディネートする指導法

前回に続いて今回も教師っぽい話を綴ってみます。
管理人です、こんにちは。
教師は子どもを育て導くことが大きな仕事です。
場合によっては知識や技能を伝え、場合によっては子ども自身が気づいて成長できるような機会を提供する。いわば、正の方向に伸ばすために尽力する場面があります。
しかしながら、0を1に、1を2にする場合ばかりが教師の仕事なのではなく、何らかの誤った概念を持ってしまっている生徒に対して、その誤りを正すこと(方向を修正すること)もまた我々の職務であるわけです。
では、そんな子どもに軌道修正を求める時に、どんな風に指導に当たるのかについて、現時点での自分の思いをまとめてみます。

[かつての自分の指導]
1.生徒の誤った言動に関する証拠をつかむ
2.生徒を呼び出し、その行為が場合によっては他者を傷つける行為であったり、あるいは校則や法律に違反していたりするのだと伝える。
3.反省の言葉と「二度としません」という言葉を生徒に強要する。
4.教師である自分が、「指導したぞ」といい気分になってその場を後にする。

大いに自戒を込めて書いてみました。記憶にある限り、4年くらい前までは少なからず、こういう指導を行うことで、生徒の誤った行動を是正できると思い込んでいました。
何てサイテーな教師だったんだろう…
まぁ、自虐はほどほどにして、実際にこういう高圧的な指導が「生徒を正すための愛のムチだ」という思い込みは、教師のみならず、組織の上司が部下を指導する場面、あるいは親が我が子を教育する場面でも見られるようです。
しかしまぁ、上記の指導1〜4を、教師目線ではなく、言われている側の生徒の目線に立ってみると、いかにこの方法が非生産的であるかはすぐに分かると思います。

はい、そんな訳で[今の自分の指導]
1.生徒に、当該の行為について話を向けて生徒の目から見た事実を聞く
2.こちらがつかんだ情報が生徒の話と一致した場合、事の発端や、対話時点における生徒の捉えについて聞く
3.生徒自身の言葉を元に、「じゃあ、今回の場合だったら、もっと上手にクリアする方法はなかったかな」と問いかける。状況に応じて助言も伝える。
4.明日からまたがんばろうぜ、という言葉で終わる。

たとえば、ある生徒が仲間に対して差別的な発言をした場合を考えます。
まず1.では、教師側の目線と生徒側の目線を一致させます。
発言をしたかどうか、教師がつかんでいる言葉で間違いかどうか、などの事実関係を子どもの言葉とすり合わせます。ここでは、確かにその言葉を相手に対して言った、ということにします。
次に2.ですが、その発言について生徒自身がどう思っているのかを尋ねます。ここで、「自分の発言が差別的であったと今は思っている」と言えれば、指導の焦点は感情的になった時にどう自分をコントロールするか、ですし、「むかついたから言った」ならば、その発言自体が持つ重さを諭す必要があります。今回は後者だったとしましょう。
続いて3.です。まずはその子の発言について、教師は差別発言だと捉えているが、生徒はただの悪口程度に捉えてるので、この温度差を埋めます。なぜ、その言葉が差別発言として問題視されるのかを冷静に伝えます。その上で、「友だちとのいざこざでむかついたから悪口を言いたくなった、という君の気持ちは分かる。ただ、今回はその悪口で言葉のチョイスを間違えたんだよ。だから、その分、余計に怒られる。これって損だと思わない?」「もちろん、ただの悪口だって言えば注意を受けるわけだから、怒られずに済むようなもっとスマートな解決方法をとるのが、君にとって一番得だと思うんだよね。具体的にはさ…」ってな感じで、上手な解決に向けた具体的なイメージを共有する。
そして、4.。「これで次からはスマートに解決できるよな。明日からまた頑張ろうぜ、応援してるよ」で締めくくる。

…とまぁ、最近の教育観をまとめてみたのですが、この考え方はD.カーネギーさんの【人を動かす】という本から大きな影響を受けています。最後にこの本から少し内容を紹介して終わりにしようと思います。

【人を動かす】より
命令は役に立たない。
相手に「これをすれば得だ」という欲をわき起こさせることが人を動かす唯一の道だ。

「議論に勝っても相手の心を失ってしまえば、その”言い負かし”にどれほどの価値があるのか」
自己満足のための”言い負かし”は、結局、負けでしかない。

それでは、また。
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