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2021年08月09日13:11

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今日は大日本帝国の敗戦が決定した日

■長崎で平和祈念式典始まる 政府に核禁条約の署名要請へ
(朝日新聞デジタル - 08月09日 10:55)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6623195


 8月9日は長崎原爆忌の日として有名であるが、もう一つソ連軍が一方的に日本に侵攻した日でもある。 当時の日本政府にとっては広島、長崎の原爆以上に日本を決定的に打ちのめしたのがソ連軍の宣戦布告だろう。

 昭和20年に入ってもはや大東亜戦争での戦勝の見込みは無かった日本は当時中立国であったソ連に和平の仲介を頼もうとしていた。 日本とソ連は1946年まで有効期限のある中立条約を締結しており、日本に唯一好意的中立を保ってくれている(と思っていた)大国であるソ連ならば米国が主張する無条件降伏よりはマシな条件で戦争を終わらせる事が出来るかも知れないと期待した。
 和平を仲介してくれる条件として満州を譲渡し、千島などの日本領海での漁業権、戦艦大和や長門をはじめとする日本海軍の残存艦艇を譲渡する事で話をまとめ、何とか無条件降伏だけは免れようと画策していた。 

 しかし老獪なスターリンは既に英米と密約を交わしてドイツ降伏後三か月以内に日本を攻撃すると約束していた。 
 そんな事はつゆ知らぬ日本は藁をも掴む思いでソ連に仲介して貰い戦争を終わらせようとしていた。 つまりこの時点で米国が無条件降伏などと言う一方的な条件を引っ込めれば日本は間違い無く降参していた筈である。 沖縄戦での大量の犠牲者は防げなかったかも知れぬが、広島、長崎を始めとする終戦直前数か月の無差別爆撃による大量の犠牲者は防げていた可能性が高い。

 しかしながら日本を徹底的に叩き潰して永久に米国に逆らえない国に改造しようと考えていた米国は決して無条件降伏の主張を引っ込めなかった。 日本は絶望的な戦いを続けるしかなかった。

 沖縄戦が終わった六月、日本は次は秋に米軍が九州に上陸する公算が高いと考えて本土決戦を覚悟して戦いを続ける一方でソ連を仲介とする和平工作も進めていた。 老獪なスターリンは日本の和平案をのらりくらりと躱して引き延ばし、ドイツに侵攻したソ連軍をせっせとシベリア鉄道で極東に回していた。 日本の和平提案を蹴ってしまえば日本は諦めて米国に降伏するかも知れない。 そうなってはソ連が参戦する前に戦争が終わってしまい、ソ連の分け前は無くなる。 そこでスターリンはソ連にやって来た日本の和平の使者を適当にはぐらかして引き延ばし戦術に出た。
 
 ずるずると実りない交渉を続けた日本は遂に広島に原爆を投下された。 しかし日本はそれでもすぐには降伏しなかった。 もはやソ連は当てにならない。 日本政府は涙を呑んで米国の無条件降伏を受け入れるかという話をしている最中にソ連が残り一年の有効期限のある中立条約を踏みにじって満州に攻め込んだと言う知らせが届いた。 そして長崎の原爆投下の悲報も政府に伝えられた。 唯一好意的な中立を保ってくれている(と信じていた)ソ連の裏切りのような対日宣戦布告により、もはや万策尽きた日本政府は涙を呑んで無条件降伏の屈辱を呑むしかなかった。 

 日本政府は原爆の投下で降伏したと言うよりもソ連の参戦で世界のすべての大国が敵となった事で戦争継続を断念した。 
 ソ連は火事場泥棒的な侵攻作戦で米国にやられてボロボロだった日本の防備の薄い千島や樺太を奪い取った。 8月15日以降もまだ降伏調印していないと言う理由でまだ戦争中だと主張して次々と千島列島を奪い取った。 ソ連が進行を止めたのは日本が無条件降伏の調印をした9月2日である。 日本軍は8月15日以降は全く戦闘行為を停止していたので、9月2日までの空白の日々の間に全千島列島と樺太、朝鮮半島などつまり日本が明治維新以来獲得した全ての領土に加えて日本固有の領土である千島列島まで奪われた。

 本来北方領土は全千島列島が日本に所属すべきである。 南千島の四島だけの返還で済む話ではない。 得撫島以北の千島列島は一時ソ連領であった時期もあるので日本は敗戦の代償として得撫島以北の千島列島と南樺太は放棄するのもやむを得ないとしても択捉島以南の南千島は日本に帰属すべきである。 
 しかしながらいくら日本がその領土保有の正当性を主張しても中立条約を踏み躙って日本の領土を奪う気満々のソ連が受け入れる事はあるまい。 連中には領土の保有の正当性は実力ある方が正しいと言う事だからだ。

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