
〈8/6(金)本日の一言メッセージ+動画+α〉
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22182 (写真入り記事)

「何事にも時がある」
聖書には、「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」(伝道者の書3:1)と書かれています。
キリストは、常に時を意識しながら生きておられました。
キリストがこの地上に来られた目的は、全人類の罪の贖いをするために十字架で死ぬために生まれて来ました。
しかし、死ぬという目的は定まっていましたが、いつ死んでも良いのではなく、「この時に死ぬ」というのが定まっていました。
キリストは、ある日、石打ちで殺されそうになりましたが、「わたしの時はまだ来ていない」と言って、スルッと石打ち回避しました。
クリスチャンは、「神の御心」と「時」をわきまえて生きることが大切です。
ダビデは、ある日、預言者サムエルから「あなたはイスラエルの王となる」と言われて、油注がれました。
ダビデが王になることは決まっていましたが、その時はまだ来ていませんでした。
ダビデは、王しての振る舞いをすることなく、いつもと変わらず、いつもと同じように生きました。
もし、ダビデが、時をわきまえなかったとしたら、「控えおろう!私を誰だと心得るか?!頭が高い!!!」と、自分を王として扱ってくれない人に腹を立てたかも知れません。
それは、愚の骨頂です。
神学校を卒業した途端、自分を「先生」と呼ばないと気分を悪くする人を知っていますが、これも、時をわきまえていない姿かも知れません。
ダビデが王になる時が来たら、国民は、「ダビデ王 万歳!」と敬意を表しますし、牧師として立って、その活動をしていたら、教会の信徒は、尊敬を込めて「牧師先生」と呼んでくれるものです。
キリストは、いよいよという時が来たら、十字架に向かって真っ直ぐに歩みました。
神の御心と共に、時というものを見極める必要があります。
もちろん、今すぐにやるべきことを、「時が来ていない!」と言って後回しにしてもいけません。
私は、人に物を話す時を大切にしています。
感情が高ぶり、腹を立て、「相手を論破してやろう!」と息巻いているような時には、話す時が来ていないと考えます。
神に心を注ぎ出して、深呼吸をして、相手に対して穏やかな気持ちが持てるようになり、愛する気持ちが溢れるようになった時に話すようにしています。
怒りの感情に任せて相手に話をしたり、電話したり、メールすることは、「覆水盆に返らず」で、こちらの意図が正確に伝わらないばかりか、人間関係が壊れてしまうことがあります。
怒りの感情に任せて相手を非難したり、注意したりすることは控えたいものです。それが知恵です。
神の時を待つ忍耐と謙遜さを身に付けさせていただきましょう。
独身の人は、結婚の時があります。時が来ていないとしたら、備える時であり、待つ時です。あせらないで下さい。
ガツガツ婚活をしても、うまくいきません。
時が来たら結婚相手が与えられますし、家庭を築くことが出来ます。
クリスチャンになって、なかなか自分の働きが与えられなくても、あせらないで下さい。備える時であり、待つ時です。
時が来たら、神に用いられるようになり、忙しくて大変になります。
神の御心を知ると共に、神の時を知り、その時を意識しながら生きて行きましょう。
「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。働く者は労苦して何の益を得よう。私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」(伝道者の書3:2〜11)。
🧡【動画メッセージ】
「心の黄色信号」
https://youtu.be/XgqZSWR81zk

【8/2(月)(日)川口駅 路傍伝道】(前半)
https://youtu.be/rG33h1ZoW4c

【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY

【8/1(日)新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/bgfZZaZwiiI (朝礼拝)
https://youtu.be/jaRSLglgd9U (夕礼拝)

「編集後記的メッセージ 『悪魔の策略に負けない「複眼思考」を持って生きよう!』」
今日は、「神の御心」とともに、「神の時」を見極めるべきであるという話をしました。
これは、「どちらかが合っていればいい」のではなく、「どちらもあっている必要がある」ということです。
物事は、「単眼的」に見、考えるのではなく、「複眼的」に見、考えることが必要です。
なぜならば、「単眼的」に見たら、世の中は矛盾だらけです。
政治家の言葉や振る舞い、時事ニュースに対して、何でも言いたいことを言う人がいます。
それは、言論の自由が守られていて、平和である事の確かな証拠です。
今日は、76年前(1945年8月6日午前8時15分)に、アメリカ軍のB29爆撃機(エノラ・ゲイ)が、広島市上空で世界初の原子爆弾(リトルボーイ)を投下し、街は壊滅状態となり、約14万人の死者を出した日です。
以降、70年以上も平和が守られていることに感謝をします。
日本は平和な国であり、言論の自由が守られている国です。
確かに、二重構造があり、権力者や身分の高い人による同調圧力があり、空気を読まないといけないような雰囲気はあります。
しかし、それもなくなって、やりたい放題になってしまったとしたら、それは大きな問題です。
言いたい放題いう人の意見は、たいてい「単眼的発想」から出ているものです。それに一々答えていたら、大変なことになります。
日本にある本音と建前は、日本人の優しさから出ているものでしょう。
本音は、「この野郎!」「こいつ!」と思っても、「人様の目があるし・・・」「そんなに言い過ぎても・・・」と、ブレーキがかかるからでしょう。
世の中は、そんなに簡単には出来ていないし、物事を「複眼的」に見て、考えることが大切ですが、そんなことを言ってしまったとしたら、意見を言える人は言うけれど、自由な意見が出しにくくなってしまいます。
「単眼的」で、「極端」な意見の中に、真実や真理が隠されていることがあります。
しかし、オリンピック開催の是非にしても、単純に「命か?金か?」で割り切れるものではありません。
「命も、金も必要」なのです。
コロナに感染したくなければ、無菌状態の室内に閉じこもっていれば感染リスクは下がるでしょう。しかし、免疫力は下がりますし、経済が破綻してしまいます。
そして、コロナにかからなくても、人は、早かれ、遅かれ、必ず死ぬ存在です。
「複眼的」に「命も、金も必要」と考えた上で、「ではどうしたらいいのでしょうか!?」と、敵対的態度を止めて、一緒に最善の答えを出そうとする姿勢を持ちたいものです。
分断をもたらす力の背後には悪魔が潜んでいます。争い、分断して利するのは悪魔だけです。悪魔を喜ばせてはいけません。
「単純」な「単眼的思考」から、全体を俯瞰して見、考え、同時に、神の御心と時を探り求めながら、「複眼的思考」を持って見、考え、話し合っていきましょう。
案外、悪魔に騙されている人が多いのではないかと感じます。
私たちは互いに仲間であり、敵ではなく味方同士であり、家族です。敵の策略に乗ってしまわないように気をつけましょう。
敵対的態度を持っても、双方が頑なになり、溝が生まれ、何も良い物は生まれません。
あなたの中から、「単眼思考」と「敵対的姿勢」を除くことが、ひいては、世界平和につながっていくのです。
76年前の広島への原爆投下による数多くの人々死は、戦争をして何一つ良いことはないということを教えてくれます。
ただそれは、「『憲法九条』を守っていれば大丈夫」と言えるほど単純ではありません。戦争をしないためにも、抑止力も必要ですし、憲法は聖書ではないのですから、憲法改正も必要な時が来るだろうと思います。
「単眼思考」を持つと、「護憲派」「改憲派」の争いが起きかねません。
しかし、「複眼思考」を持って、どうすることが一番良い事であるかを神に祈り求め、敵対的姿勢を持たないで、一緒に考えていけたら、そこに悪魔を打ち負かし、退散させる力があるのです。
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