障害年金と武装錬金は似ている。
すみません、似てません。言ってみたかっただけです(汗)。
「もらえるかな」と書いたとおりで、ようやく手続きが済んだばかり。これから審査が始まって、申請が通ったとしても、受給は二ヶ月先になる。現在は組合からの傷病手当金で何とか生活している状態だが、これの期限が3月までで、後は完全にプー。収入の道が絶たれるので、何とか間に合わせたいところだ。
実際に透析始めてるから、申請が通らないってことはないと思うが、いやもう、書類用意するだけで時間が掛かっちゃってね。その話だけで一編のコメディになっちゃいそうなんだよ。
提出書類の中で、一番のネックになったのが、「受診状況等証明書」ってやつ。これは、病気が発症して、初めて診察を受けた医療機関に発行してもらわなければならない。で、私の病名は「末期腎不全」だから、そう診断してくれた病院に診断書ともども、これを書いてくれるように頼んだんだよ。
でも、病院は、診断書の方は書いてくれたんだが、「初診」はうちじゃないから、「受信状況等証明書」は書けないという。確かに「腎不全」になったのは最近だが、それは「糖尿病」が進行したせいで、「初診」はその糖尿病と診断を受けた病院になる、というのだ。
……冗談じゃねえよ、俺、糖尿って言われたの、もう30年も前だよ? 当時のカルテなんて残ってるわけないじゃん! でも、問い合わせてみないわけにもいかない。電話を掛けましたよ。
私「あのう、当時のカルテは…」
病院「残ってませんね」
私「じゃあ、当時の主治医の先生は…」
病院「全員転勤して残ってませんね」
私「当時の名簿とか、どちらに転勤したかの記録は…」
病院「それもありません」
後半は病院側のウソで、「医師個人の情報の漏洩になるから教えない」ってことなんだろうが、これでは障害年金を申請する人間は、経年のせいで、誰一人、申請できなくなるってことじゃないのか。
埒があかないので、書類の提出先の県庁の年金課に出かけていって、相談してみた。やっぱりカルテが残ってなくて、書類が提出できないケースは結構あるそうだ。
私「その場合はどうすればいいんですか?」
係「二つ、方法があります。一つは病院に紹介状が残っているかも知れませんから、その紹介状を辿って、最初の病院に辿り着く方法です」
私「……無理ですね。最初の入院の後、転勤して、改めて別の病院で診察を受けたので、紹介状はそこで途切れてます」
係「では最後の方法です(※「最後」って、言い方…(@@;))。どなたか当時の状況を知っている人に、『初診日に関する第三者からの申立書(第三者証明)』を書いてもらうことです」
私「それなら妻が…」
係「家族はダメです。あくまで第三者でないと」
……困った。30年前からの知人なんて、もう数えるほどしかいない。しかも転勤する前と言えば、北九州だ。一応、マイミクさんに北九州在住時のご近所さんが一人いることはいる。けれども、私が入院したことくらいは覚えているかも知れないが、詳しい事情は殆ど知らないはずである。
……えっ、もしかして俺って、無茶苦茶ぼっち?
そこでふと思い出した人が一人いた。姉だ。
家族はダメじゃなかったのかと言われるかも知れないが、血の繋がった姉ではない。両親が理容師で、子どもの頃から弟子のみなさんに囲まれて育ってきた。私の感覚的にはみんな実の兄ちゃん姉ちゃんなのである。今も付き合いがあるのはほぼ一人になってしまったが、あの姉なら、当時の事情を両親から聞いて知っているかも知れない。
早速、電話を掛けてみた。
私「30年前、僕が入院したの、知っとった?」※博多弁と「僕」呼称は姉としか使わない。
姉「うん、お母さんから聞いとったよ」
私「病名とかも覚えとう?」
姉「最初、尿管結石やったっちゃろ? それから糖尿病になって……」
私「そうそう! 日付とかは覚えとらんめえね……」
姉「ああ、分からんねえ。いつ頃やったかいな?」
私「それは僕が覚えとうけん、書類ば書いてもらえん!?」
姉「何の書類ね!?」
説明は面倒だったが、書類はあっさり書いてもらえることになった。殆どその足でうちに来てくれることになって、四苦八苦しながら、発病の経緯の説明、その状況を姉がいかにして知ることになったのかも、縷々綴ってくれた。小さい字で、10行くらいは書いたから、400字詰め原稿用紙二枚分くらいにはなっただろう。
「姉ちゃん、漢字知らんけんね」と言いながら書いてくれた申立書は、確かにひらがなばかりだった。連想したのは、野口英世の母が、息子に送ったひらがな、誤字だらけの手紙。「はやくきてくたされ」のあれ。姉はあのお母さんほどに漢字が書けないわけではないけれど、読んでたらやっぱり涙が出てきた。
これで申請が通らなかったら、年金係には人の心がない。
他にも病院に書いてもらった診断書に、住所やら年齢やらの不備があって、書き直しをお願いしたら、「だってカルテにそう書いてありますから訂正できません」なんて言われてキレかけたが(カルテから間違ってるんだよ!)、何とか全部の書類を揃えて、今日やっと提出が済んだ。
長年、人付き合いが苦手で、友達なんか面倒だと思っていたけれど(一時期は知り合い全員と連絡を絶ってたこともある)、その考え方は間違いだなあと痛感させられた。人間、誰でも年を取る。誰かを頼りにしなければ生きてはいられなくなる。姉がいなかったら、私は公的な援助も受けられる可能性がなかった。いざというときに手を差し伸べてくれる気の置けない知人――そういう人との付き合いは決してないがしろにしてはいけないのである。
あ、でも血が繋がってるだけで金だの何だのをたかってくるような親戚は要らないからね。そういう親戚(あるいは肉親)とは遠慮なく縁を切りなさい。これも経験値に基づいた教訓です(苦笑)。
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