ディープパープルのジョンロード
亡くなってから早いもので今年で9年目
その偉大なる功績をたどる第三段は黄金時代をすっ飛ばし解散直後の
「Paice Ashton Lord」
ディープパープルは1975年にリッチーブラックモアが脱退
後釜のトミーボーリンは優秀なギタリストだったのにドラッグが過ぎて、ライブで良い時と悪い時の差が大きすぎた。
来日公演の時も右手が全く動かずスライドバーでごまかし、ジョンロードがフォローした。
メディアにはその前のライブで酔っぱらって右手を枕にして寝たらしびれたと言ってたが、実は日本の前にジャカルタ公演で質の悪いヘロインを注射したさいの副反応で右手が動かなくなってた。
この頃グレンヒューズもトミーの影響なのか?ドラッグにはまりだし
ジョン、イアンペイス、デビッドカヴァーディルがこの2人に拒否反応を示し
翌1976年5月のツアー終了して活動停止、7月に解散が報じられた。
解散後、ジョンとペイスが作ったバンドがその
「Paice Ashton Lord」
https://www.youtube.com/watch?v=XnmocYwkvQA
「Malice in Wonderland 邦題〜不思議な国のマリス」というアルバムをリリース
この頃のジョンロードはトレードマークのハモンドオルガンC3と、クラビネット、フェンダーローズエレクトリックピアノ、ソリーナのストリングスやアープのシンセサイザーなどを使用
2期パープルの時のようなギターとバトルをするようなスタイルから、トータルなサウンド作りをするスタイルに変化しているのが伺える。
バンドメンバーは
・ジョンロード(Key)
・イアンペイス(Ds)
・トニーアシュトン(Vo、Key)
・バーニーマースデン(G、Vo)
・ポールマルティネス(B)
(サポートで女性コーラスふたりとホーンセクションがいる)
トニーアシュトンは日本でこそ無名だがイギリスではブギー系のボーカリスト、ピアニストとして高名で、自分のソロアルバムにはエリッククラプトン、ジョージハリスンなども参加、
ウイングスの「ロケストラ」でも印象的なピアノを弾いている
ジョンも以前からトニーのアルバム制作に協力、二人のコラボアルバムも出している
バーニーマースデンは後にジョンとペイスより一足早くホワイトスネイクに加入
ポールマルティネスはオーディションで抜擢されたが後にロバートプラントのバックや再結成ツェッペリンに参加している。
重たいグルーブ感のあるベースはグレンヒューズに似ている気がする。
だがあまりにも渋すぎる、悪く言えば地味なサウンドはまったく受けずまったく売れず
ライブを5回やっただけで解散してしまう。
このバンドに当初デヴィッドカバーディルも参加を要請されたと噂があって
もしかしたらマネージメントは5期パープルを目論んでいたのでは?
グレンとトミーをクビにし新メンバーを入れてパープル続けさせようとしたのでは?と
と想像してしまう。
というのはカバーディルはパープルのツアー終了時に脱退を宣言
解散後、ソロアルバムを制作するも契約の問題がありしばらくイギリスにいれなかったという話があり
(この件で詳細ご存じの方いればおしえてください)
トミーとグレンは終わったとは知らず、トミーはこの年の7月にパープルの次のアルバムのレコーディング予定があったと言っている。
Paice Ashton Lordより前になるが
1976年のパープルが解散する頃にジョンロードは3枚目のソロアルバムである
「Sarabande〜邦題 スペインの哀愁」を発表
https://www.youtube.com/watch?v=AoFX96ntk1k
おなじみのオーケストラとバンドのコラボレーションをおこなってるが
かつてのロイヤルフィルハーモニックオーケストラよりも洗練されたサウンドを展開
個人的に実はこのアルバムの存在は知ってたが聴いたのは最近で
驚いたのは、ギターがポリス結成以前のあのアンディーサマーズだったこと
最後に2004年にこんなコラボがあった
アバのフリーダとジョンロードによる「The Sun Will Shine Again 」
https://www.youtube.com/watch?v=TydCFLkGr0Q
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