
〈7/24(土)本日の一言メッセージ+動画+α〉
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22167 (写真入り記事)
❣「人生の四季を楽しもう!」
今日は、午前中にどーっと雨が降って一時的に涼しくなりましたが、今日もまた暑くなりそうです。こまめに水分補給をし、熱中症などに気をつけて下さい。
日本には、春・夏・秋・冬の四季があり、時間の経過と共に季節が変わります。地球が23.43度傾斜しているからです。
勢いよく成長する春、絶頂期の夏、収穫の秋、実りのない冬。どの季節も必要です。実りのない冬も、次に来る春に備える季節であり、他の季節とバランスを取る意味でも大切なのです。
「いつも良い季節だけだとイイ!」と考えることがありますが、地球の傾斜をなくしたら、地球は暑いか寒いかだけの星になります。きっと退屈なはずです。
神さまは、私たち人間が飽きないように、一年を通じて四季を下さり、私たちを楽しませて下さっています。
四季の変化は、私たちの人生にもあります。
いつも絶好調で何をしてもうまく行っているように見える人がいるかも知れませんが、その人にも、ちゃーんと四季があって、実りのない季節を過ごしているはずです。その時をしっかりと受け止めて、収穫の季節に備えて心も体も準備をしています。
好循環の人は、いつもどんな時にも、その瞬間を大切な時として受け止めて、感謝し、全力でその時その時を生きている人だと思います。
反対に、いつも貧乏くじばかりを引いて、何をしてもうまく行かないように感じている人もいることでしょう。その人にも同じように四季はやって来ているはずです。きっと、その時その瞬間を大切にしないで、感謝しないので、いつも「こうなったらいいのに!?」と嘆き、無い物ねだりをしています。
また、うまく行かないことを人や状況のせいにして何もしようとしません。そのように生きていると、せっかくチャンスがやって来ても、チャンスをチャンスと思わないので、チャンスは素通りして去っていってしまいます。
少し前まで春や初夏だったのに、台風が去り、梅雨が明けて、いきなり猛暑になりました。ここ数日の猛暑は大変なものです。しかし、猛暑もいつまでも続きません。やがて秋になり、その秋も深まり、冬がやってきます。
人生もツライことばかりではありません。四季が巡っています。大切なことは、すべての四季、すべての時を楽しむことです。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(テサロニケ人への手紙 第一 5:16〜18) 。
どの季節にも良さがあり、どの季節も必要です。同じように、私たちの人生のどんな時も素晴らしい時であり、必要です。今日も素晴らしい一日でありますようにお祈りいたします。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」(伝道者の書 3:11) 。
今年も本当の夏がやって来ました。夏に感謝し、夏を楽しみましょう。この暑い夏さえ終われば・・・と嘆くような間違いを犯しませんように。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」のですから。
良い一日でありますように。素敵な連休をお過ごしください。
🧡【動画メッセージ】
「人を批判する時の心得」
https://youtu.be/KBehiJ2zb_o

【大久保駅 路傍伝道】
https://youtu.be/yl43kPOEP1o (後半の40分の動画)
https://youtu.be/UDntybcoOHU (短い1分の動画)

【路傍伝道ネットワーク 活動紹介】
https://youtu.be/es7hBtd_OdY

【新宿福興教会 主日礼拝】
https://youtu.be/RClw6b598OA
日曜日は教会へ!

【四十代最後のメッセージ】(7月限定公開)
「私たちに与えられた救いと人生の目的」
https://youtu.be/g0MnAtSKtxM

【TV番組 説教収録(7月限定公開)】
https://youtu.be/u3YkZuvDk6o (説教�ぁ�

「編集後記的メッセージ 『圧迫止血と教会はキリストの体』」
今朝、ある探し物をしていると、1mくらいの高さのところから少し重い電子機器が頭の上に落下しました。
「あー、これが頭の上に落ちたんだ」と冷静に考えましたが、しばらくすると、「これって結構重たいよな」と考え、さらに、「もしかしたら流血するかも知れない」と考え、頭に手を置くと、手が血で真っ赤でした。
「どうしようどうしよう。大変だ!」と気持ちが焦りますが、祈り、冷静さを取り戻しました。
「そうだ!いつも指導員として救命講習でその場所を圧迫する止血法も教えていたじゃないか!?」。ティッシュを3枚取って、そのまま10分間圧迫止血をしました。
10分後、血は止まりました。しかし、頭がチクチク、ズキズキ痛みますし、頭がフラフラしますので、今日は、体を休めながらゆっくり過ごしたいと思います。
これで、言葉が出にくくなるとか、片方の手が動きにくいとか、意識がもうろうとするなどのことがあったら病院に行った方が良いですが、今のところ大丈夫そうです。
体は、そのようにお互いをいたわり合うものです。
「頭よ、お前がそんなところにいるから落ちたんじゃないか? 自己責任だ。自分で何とかしろ!」などとは言いません。
体の全体の器官が頭の出血・流血を止めるために心配をし、試行錯誤をして、力を合わせます。
聖書は、「教会は建物ではなく、信者の集まりである」と教えます。
一般には、建物のことを「教会」と言います。
「明日は日曜日だから教会に行く!」
「えっ!? 連休で旅行行くから教会を休むの!?」等々。
教会が集まれる場所になってしまっています。
ちなみに、集会をする建物は「教会」ではなく「教会堂」です。
教会が信者の集まりであり、キリストが頭で、私たち信者はそれぞれの器官であるとしたら、体のどこか一箇所の調子が悪ければ共に痛み、共に手当てし、治るように力を合わせます。
しかし、実際の教会は、「こんな牧師がいる。とんでもない!」「こんな信徒がいる。とんでもない!」と批判し、非難し、裁くことがあります。
それは、私の頭の上に重い機器が落下した時、「お前が悪い。自分で何とかしろ!」と言っているに近いのではないでしょうか。
ある人はこう言います。「教会には愛がない」と。
しかしその人は、自分が教会の一員であることを忘れています。「愛がない」と裁くその人こそに「愛がない」のです。
愛をギブ&テイクと考え、「まず牧師や先輩の信徒の方が愛してくれたら、こちらも愛のお返しをします」と。
しかし聖書は、ギブ&テイクの愛を教えていません。
ただ「愛しなさい」と教えているのです。
「だって、『互いに愛し合いなさい』って聖書は教えるじゃないですか!?」。
これは、それぞれに向かって、「ただ愛しなさい」と言っているだけで、ギブ&テイクの愛を教えているのではありません。
教会はキリストの体です。私の頭を他の器官がいたわるように、そして、あなたの体が怪我をしたり、具合が悪かったら、他の器官がいたわるように、牧師を含む信者同士が愛し合い、仕え合い、赦し合い、助け合い、支え合いながら天国への旅路を歩くのです。
聖書が教える罪の現われとは何でしょうか? 自己中心であり、利己的であり、愛がなく、人を裁く状態です。
もちろん、正義は必要です。しかし、正義を求めるとしたら、自分にも欠けがあり、弱さがあるのです。それを自覚したら、互いに戒め合う言葉に優しさと思いやりが溢れるはずです。
そんなキリストの体である関係を築き、主と共に、互いに愛し合っていきましょう。
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