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2021年07月22日00:09

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最近気づいた自分の正体


どうも、自分は他の人とは見えているものが違うようだ。

その違和感は小学生の頃からあったけど、ずっと正体が分からなかった。

この視点は何なのか。

たまに他人から、「わざと他の人と違う視点から見てインテリぶってるんでしょ」と言われるが、
全く身に覚えのないことで、なるほどそんなものの見方もあるのかと驚く。


そもそも私は見え過ぎるのが嫌で自分の目玉をえぐり出したかった。
何も聞きたくなくて耳も削ぎ落としてしまいたかった。
何も話さずに済むよう舌を抜いて唇を縫い合わせ、
何も書かなくて良いよう全ての手指を切り落としたかった。

何より心。

もし感受性があるのなら。
スコップで掘り出してしまいたかった。

そうやって何も見ず聞こえず喋らず書かず
感じる心こそ空っぽにしてしまって
押し入れの奥に転がされて静かに眠っていたかった


それが私の視点であり見え過ぎる故の孤独と苦しみだった。
わざとやるような余裕はない

んで、半年くらい前に分かった。

私が理系なら、ABC定理を発見するのに勤しんでいたのだろう。
実際は文系だから、人間の理を発見して文章にするタイプだったのだ。

たとえば。

風に吹かれて散る桜の落ちる速度を式で表わす才能のある理系がいるように、人間の理が見える文系脳がいるのだ。

幼少の頃、発見しまくるのが数式ならば「わざと他の人と違う見方をしてインテリぶってる」と言われたりはしなかっただろう。

目に映るものを次々と数式に表していく子がいたら、それが何かバカでも分かる

しかし残念ながら私は文系だった

すると、途端に分かりづらくなる
(多分ね。あれ? 教師の中には気づいてるのいたかも??? でも声かけられてないし会話を楽しんだ覚えもないな……)


だけど分かりにくいお陰で毒親の魔の手は届かなかった。
さらに言えば末は博士か大臣かで毒親がフィーバーするから理系でなくてよかった。人生に寄生されるところだった(いや、寄生されてたが文系のグズと思われてたから逃げることができた)


そして理が見える文系脳にもレベルがある

ABC定理を発見するものから2次関数を発見する程度のものまでピンきりだろう。

大事なのは、何を発見するかではない。
その子自身を見つけてもらえるかだ。

その才能を発見してもらえるか
同じレベルで語れる者がいるか
親友、同志と呼べるような歳の近い子がそばにいるか、である

理系の発見は容易かもしれないが文系の発見が容易かは分からない。

少なくとも私は自分で自分を発見するしかなかった。
だから発見に40年かかってしまった。

自分の才能の正体に気づくまで、ちょっと時間がかかる。厄介だ。

お手本となる先人がいないために、生き方を見つけるのも心の有り様を定めるのも全て自力である。

目玉を抉り出してしまいたくなるような才能をもって、
それでも才能に振り回されず、
身を滅ぼすことなく、
地に足をつけた生き方を自分で見つける

しかも世間に合わせて未成年のうちに進路を決めていかねばならない


そのせいで きっと 死にやすい


自分で言うのもなんだが理が見えまくるのと思春期が重なった頃は本当に大変だった。


私の同志となりうる人
親友になれたかもしれない人
出会う前に何人が壊れて死んだのだろ


生きて会いたかったよ
そして存分に理について話したかった
数学者が数学を語り合うように


まあ、世の中には色んな才能がある中で、発見されづらいものは大変だよね


PS 文章書く仕事に就けば仲間に会えると思ったけれどいなかった
編集者にもいなかった

石を投げれば東大早稲田慶応に当たると言われる場所なのにいなかった

まあ私が30 分で飽きた場所だから、私の同志や仲間、親友たり得る人がいたことがあったとしても、秒でイチ抜けたするだろうな
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コメント

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