
〈6/23(水)本日の一言メッセージ+動画+α〉
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22135 (写真入り記事)
❣「すぐに判断しない」
「すぐに判断しない」と聞いて、「優柔不断のすすめ」のように聞こえるかも知れませんが、そういうことではありません。
目の前にある問題に対して、すぐに決断をしなければならない時があります。しかし、無理に決断するよりは、とりあえず棚上げして、祈り、ニュートラルにしておいた方がいい時もあります。
中国にこんなお話があります。
片田舎に一人の男性が住んでいました。ある日、彼は名馬を手にします。それを見た隣人は、「おめでとう、素晴らしくいい馬だね。君はラッキーな男だ」と祝ってくれました。
しかし彼は、「このことが良いって、どうしてわかるんだい?」と答えました。目の前のできごとに対して、すぐに「良い?悪い?」の判断をしない人でした。お祝いに来た隣人は、彼のことを「変なヤツ!」と思いました。
しばらくして、王様が近くを通り、その名馬に目を留めます。あまりにすばらしい馬なので「この馬を手に入れたい。お金はいくらでも払おう」と男に申し入れました。それを聞いた隣人は「良かったね、これで君も大金持ちだ」と言いました。
ところが彼は、「私にとってこの馬は家族同然、手放すわけにはいかない。王様、お金で交換できるものではありません」と、いとも簡単に断ってしまいました。
「バカだなぁ、こんなにいい話を断っちゃって・・・、大金が入るはずだったのに台無しだ!」と隣人はまた「良い?悪い?」を判定しました。
すると彼は、「どうしてこれがバカなことだってわかるんだい君?」って答えました。
翌日、その馬が逃げてしまって、いなくなりました。隣人は、「ほら見ろ。だから言ったじゃないか、売っていれば大金持ちになれたのに、馬もいなくなった。お金も手に入れ損なった。かわいそうなヤツだ!」と言いました。
彼は、「どうしてこれが、かわいそうなことだって、君にわかるんだい?」って聞き返しました。
事実は、昨日までいた馬が、今日はいないということだけ。隣人は、それに対しても「良い?悪い?」を判断しました。
半年後、その逃げ出した馬が子馬を連れて戻ってきました。隣の人は「ツイてるね君は!」と祝ってくれましたが、
彼は、「一頭だった馬が二頭になった。これは事実だけど、それがいいかどうかはわからない。どうしてあなたはこのことがツイていると判断できるんだい?」と答えました。
しばらくして、息子が子馬に乗って遊んでいたら、振り落とされて足が不自由になってしまいました。隣の人が「気の毒に、息子さん、かわいそうにな」と同情しました。
彼は、「骨折して足が不自由になったことが、どうしてかわいそうだって、あなたにわかるんだい?」と聞き返しました。
突然、隣の国との戦争が起こりました。隣人の家の息子さんは徴兵されて、戦死して帰らぬ人になりました。隣人は、「君はラッキーだね、君の息子は落馬して足を折ったおかげで徴兵を免れて、今も元気に生きている。私の息子はいなくなってしまった。私はなんて不幸なんだ・・・」と言ったが、
彼は、「どうして、それが不幸なことだってわかるんですか?」と聞きました。
あるできごとに対して、拙速な判断が良いとは限りません。
「良いか?悪いか?」「黒か?白か?」でだけでは割り切れないことがいくらでもあります。
そして、本当の意味で、「良いか?悪いか?」「黒か?白か?」を判断するのは神様です。
目を閉じて心の目を開き、限りあるこの地上から永遠に目を向け、あなたを造り、あなたを導いておられる全能の神に聴いてみて下さい。
聖書は、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ人への手紙8:28)と語ります。
神はマイナスをプラスに変えて下さるお方です。マイナスであっても、それが共に働いてプラスに変えて下さるのが神様です。
神に信頼し、神に聴くならば、全てのことが共に働いてプラスになっていることがわかるので、すべてを感謝するのが一番です。
プラスのことはプラスですが、マイナスもプラスに変わるからです。ピンチこそチャンスです。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(�汽謄汽蹈縫�5:16〜18)。
心のスイッチを神に切り替えて、喜び、感謝し、祈りながら、良い一日をお過ごし下さい。
🧡【動画メッセージ】
「本当の豊かさ」
https://youtu.be/fyotaS1jIX4

【新宿駅前 路傍伝道】
https://youtu.be/WPtYotN1SFE (後半)

【新宿福興教会 オンライン主日礼拝】
https://youtu.be/Ppl6jf5Ipfc (朝礼拝)

「編集後記的メッセージ 『信仰による決断』」
すぐに判断するか、しないか。スピードが要求される時代にあって、悠長な態度が許されない環境に置かれることもあります。そんな時は、祈って、その時に最善と思える決断をしたら良いのです。
要は、祈るというプロセスの中に、神様の介入があり、神様の導きを受け入れることになりますので、後で、「拙速である」と批判されたとしても、おそらくそれが最善な決断だろうと思います。
しかし、その素早い決断が肉の働きである、つまり、神を除外した人間の思惑による決定であるとしたら、棚上げしたいものです。
とにかく祈ることです。そして、それがクリスチャンの集まりであるならば、一緒に祈ることです。
祈った結果、それが自分の思いと違ったとしても、それを受け止め、神に委ねることが大切です。
すでにコロナのワクチンを打たれた医療従事者や高齢の方々などは、待ったなしの決断で摂取したかもしれませんが、ワクチン接種に反対する意見も多数取り上げられています。
ここに正解を見出すことは容易ではありませんし、各自が答えを出すしかありません。
そんな時に、政府が推進しているからとか打つとか、不安だからやめよう、などと、まずは自分の頭で考えるだろうと思います。しかし、神に祈り、神に聴くというプロセスを経ることが大切です。
どちらを選んだとしても、神の導きを仰ぎ、確信を持って決断を下すならば、それが信仰者に取っての最善の選択なのです。
聖書は、「信仰から出ていないことは、みな罪です」と語ります。
「しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です」(ローマ14:23)。
ということは、信仰によって決断し、行うことは善なのです。
信仰とは、神との関係を指す言葉です。神を迎え入れ、主と仰ぎ、共に生きることです。
何が善であり、何が悪であるのか、どう決断を下したら良いのか、とても難しい状況に置かれることがあると思います。
「必要悪」という世界もあります。しかし大切なのは、信仰による決断です。
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