
〈6/6(日)本日の一言メッセージ+動画+α〉
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22118 (写真入り記事)
❣「神に立ち返ろう!」
コロナ禍で対面会議の機会が減りましたが、ある人が会議の前にニンニクとんこつラーメンを食べました。当人は、マスクをしているので匂わないと感じているようですが、周りの人たちは我慢できないほどの匂いがしました。
このように、人は、自分の息の臭いや体臭も、あまり感じないことはあっても、なぜか周りの人はわかるのです。
同じように、罪に関しても、自分ではわかりにくいのです。
しかし、罪は自覚してもしなくても、その性質を誰もが持っています。
イエス様は、「『罪がない』と言い張るところにあなたの罪がある」と語られました。
罪に対して、これはとても深い洞察です。
罪を自覚できないと言うことは、罪がないとか、罪が少ないのではなく、もっと罪深いということなのです。
十九世紀のロシアの文豪である『トルストイ』は、「人間の最大の罪は鈍感さだ」と言いました。
鈍感だと、自分の罪がわからなくなり、罪の赦しが必要だと感じられないので、イエス様が必要なことがわからなくなります。
この状態に陥ると、さらに困ったことが起こります。自分の罪には鈍感なのに、人の罪には敏感になり、自分を棚に上げて人を裁けてしまうのです。
これでは悪循環です。
聖書は、人を貶め、引き下げ、気分を悪くさせるために罪を語るのではありません。人を赦し、解放し、救うために語っているのです。
「私は人に迷惑をかけないように生きているし、人と比べて罪深いとは思わない!」と感じる人がいますが、罪の基準は自分にあるのではありません。神にあるのです。
神の基準で見たら、私もあなたも罪人です。
トルストイが言う罪深さの極みが「鈍感」なら、使徒パウロのように、「私は罪人の頭です」と敏感になれる人は、罪の反対の義に近い人なのかも知れません。
あなたは、神に対して罪を持っています。しかし、「私には罪がない!」と言うなら、自分と神に対して欺いているのです。
罪とは、犯罪などの行為以前の「神から離れた状態」を指します。
創造者であり、いのちの源である神から離れていたことを認め、神に立ち返る毎日でありたいと思います。
日曜日、共に神を礼拝しましょう。
🧡【動画メッセージ】
「人を注意する時に必要なこと」
https://youtu.be/cW2VtkeW__k

【6/4(金)経堂駅前 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/yu6i-1xtWa4

【新宿福興教会 オンライン主日礼拝LIVE】
�…�10時半〜、�⇒縞�16時半〜
https://sgr-ch.net

「編集後記的メッセージ 『あなたの動機を吟味しよう』」
クリスチャンになって幾度となく葛藤したことがあります。それは人からとても嫌な思いをさせられて来たと共に、その嫌な思いをさせるのと同じ性質が自分の中にあることを感じる時です。
その時、それを「仕方がない」で片づけてしまえば楽ですが、つらい経験を無駄にしてはいけません。
嫌な思いをさせるのと同じ性質と言いましたが、それは動機によっては白にでも黒にでも変わります。
変えるべきなのは動機なのです。
人を叱るにしても、相手を毛嫌いして無き者にしたくて叱ることもあり得ますが、その人を愛するゆえに叱ることもできます。
今日、私たちには罪の性質があります。しかし、何をやろうとしても、それを白にでも黒にでも変えることができます。それは、動機です。
あなたの動機は、自己中心的なものなのか? それとも愛なのか?
それを吟味して、愛を選び取っていきたいものです。
神は、あなたを愛しておられます。その愛を受け止め、味わい、その中で憩ってください。
愛された人は、自然に自分を愛することを学び、他者を愛せるようになっていきます。
神の愛は、今この瞬間もあなたに向けられています。その愛に気づき、その愛に飛び込んでください。そして、愛にとどまり続けてください。
そこから、あなたの生き方は変わっていきます。
あなたの動機は愛に変わり、すべてが生きます。
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