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2021年06月01日23:35

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卑怯な質問 コロナパニックの自分の見解の整理

■五輪より国民の命=菅首相
(時事通信社 - 06月01日 16:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6538794

昨年のコロナパニック時のオリンピック中止論は怖かった。
コロナパニックに加えてオリンピック中止の短期間のWショックは日本経済危機、マネー崩壊の引き金になる気がしてならなかった。正直、延期となってホッとした。
一年経っての今の中止は、ショックにはならないから、でもダメージとして蓄積されるでしょう。いわゆる経済効果という、お金の回る量の減少は仕方ない。
けれど、あるはずだったものがなくなっての一部に掛かってしまう負債という穴はどのような現象を呼び込むのだろうか。オリンピック『開催』は回収作業なので、可能な限り、もうどんな形でもいいので、もう形だけでもいいので、とにかく実行して欲しいというのが自分の意見です。

今回のコロナパニック、誰が首相でも、どんな政権でも、今現在の日本の状況はさして変わっていない、というのが自分の見立てです。(もちろん自分個人のひとつひとつの政策への異論は当然ありますが)
だから、結果論で批判を受ける、二項対立に陥ってしまうコロナ構図でどちらにしても批判を受ける、政権担当者には同情的です。仕方ないことが多い。が、本質でないところでの、気に障ることが非常に多いことは確かです。が、本質でないところだからと自戒するの繰り返しです。

今のコロナに対する正確な対応は確立されていません。ですから、残念ながら過剰反応するしかありません。『適正な過剰反応』という矛盾する言語が生まれてしまって、十人十色どころでない一億人一億色の国民の求めに応えなくてはいけない政権です。測って実行しなくてはいけない政権ですが、できることはさして少ないという苦しさです。

そんな中で「○○と命、どちらが大事か?」という質問は卑怯です。

その究極の質問は、永遠に対象者を問い詰めます。
政権にオリンピックと天秤に賭けさせますが、これをひとりひとりがひとりひとりに○○と命を突き詰めさせるような社会は異常です。

オリンピック中止の意見は当然尊重します。ですが、主張するとき、命と天秤に賭けさせるのは卑怯です。

不愉快なことの多い政権ですが、卑怯な手で追い詰めようとは思わないです。

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