
〈5/30(日)本日の一言メッセージ+動画+α〉
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22111 (写真入り記事)
❣「一生の幸せと永遠の幸せ」
「中国のことわざ」に
一日幸せになりたければ酒を飲みなさい。
三日幸せになりたければ結婚しなさい。
七日幸せになりたければ豚を殺して食べなさい。
一生幸せになりたければ釣りをおぼえなさい。
というものがあります。
1番目に、「酒を飲む」ことで、一日幸せでいられます。それ以上でもそれ以下でもありません。
2番目に、「結婚」したら三日間は幸せでいられます。結婚の幸せが三日とは短い気がしますが、「美人は三日で飽き」「ブスは三日で慣れる」と言われることは本当なのでしょうか。四日目からは愛が求められます。
3番目に、「ブタ」を殺したら七日間は幸せでいられます。一匹の豚肉で、一週間はお腹いっぱい食べられるので、一週間は幸せでいられるんですね。
しかし、これら三つの幸せは、受動的なもので、飲食や人によって幸せにしてもらう人生です。幸せは、求めても永続しないことを教えてくれます。
このことわざは、最後に、「釣りを覚えたら一生幸せでいられる」と締め括ります。
釣りを覚えたら、お腹が空くたびに釣りをすることで、人に頼るのではなく、能動的に自分の幸せのために自分で働きます。
つまり、「自分一人で生きて行こうとする姿勢」と「自分の幸福感を自分で管理する心構え」です。
幸せでない人を観察してみたら、誰かに依存して生きていたり、自分の幸福を人や状況頼みしている人であることがわかります。
あなたは、自分一人で生きて行こうとする姿勢を持っていますか?
自分の幸福感を自分で管理する心構えを持っていますか?
人からどんなにけなされようが、人からみじめでかわいそうな人と思われても、自分が、「けなされた!」「私はみじめでかわいそう」と認めない限り、そうではないのです。
しかし、自分一人の力には限りがあります。
私は、中国のことわざの作者に断りを入れていませんが、最後にこの言葉を付け加えたいと思います。
「永遠に幸せになりたければ神を信じなさい」 。
神に頼るからこそ、自立し、自分一人で生きて行く力が与えられるのです。また、自分の幸福感は、神の助けがあるからこそ自分で管理できるのです。
もしあなたが、神を信じ、神を頼るなら、永遠に幸せでいられます。そんな人生を共に歩んで行きたいですね。祝福を祈ります。
「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ4:13)。
「あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある」(詩篇16:11)。
🧡【動画メッセージ】
「結婚の神秘」
https://youtu.be/e_BWEqpBuvU

【5/28(金)高田馬場駅 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/aP65-vDqCEs (正面)
https://youtu.be/428G6sdB__4 (側方)

【路傍伝道新聞5月号(3500部発行)】
(まとめてダウンロードできます)
https://41.gigafile.nu/0726-b3bcd2a29212ccf873c867486779513f

【新宿福興教会 (オンライン)ペンテコス記念礼拝】
https://youtu.be/nzMpgFOXpnY

「編集後記的メッセージ 『すべてを知っておられる神がその日の分を与えてくださる』」
一言メッセージがメインで、編集後記は最後に編集からの一言なのに、メインよりも編集後記の方がはるかに長い文章になってしまうことがあります。
編集後記は、短ければ短いほど良いとも言えます。SNSで言えば、Twitterで1度に送れるくらいの分量です。しかし同時に、その中に「起承転結」の要素を含めて、伝えたいことを盛り込むとしたら、とても難解です。
「食前の感謝のお祈りは短い方が良い」と言われます。ある時、おそばを前にして、食膳の感謝の祈りをしてくださった方が、今日食事ができることに対しての感謝、作ってくれた人に対する感謝、世界の飢餓で苦しみ、今この瞬間にも食事ができないで死にそうな人に助けを与えてくださいと祈ってくださり、みんな目を開けて、「早く終わってくれないかな!?」と考えたことがありました。
ある祈祷会で、ある人にお祈りをお願いしたら、お祈りと言うよりも演説になっていました。1つのことをネチネチと掘り起こして、いつまで経っても終わってくれないのです。会の終了時間もあるので、「早く終わってくれないものか?」と困っている姿を見て、後で「私のお祈りを聞いてくれていたんですか!?」と機嫌を悪くしていました。
祈りの場合は、時間を共有していますので、文章の場合とは違います。しかし、短い方が良いというのは、経験上感じていることです。
もう一方において、かつて説教の準備をする時に、ある時はどんどん泉のように湧き上がってくる時もありますし、しぼっても絞っても乾いた布巾から水が垂れることがないように、説教が湧いてこない時があります。そんな時には、たくさん湧き上がった時に小分けにして、次週の分にするということを考えたことがありました。しかし、次週になるとの説教は古くなってしまうのです。さながら、イスラエルの民が荒野で40年間放浪の旅をした時に、その日の分のマナを集めました。翌日まで取ってても腐ってしまいました。ところが、安息日の前日には2日分のマナが与えられました。しかも、翌日の安息日になっても腐らず、おいしく食べることができました。説教も与えられた分を語り切ること。翌日まで取っておいても腐ってしまったマナのようだと感じます。
そこで、与えられているものを、できるだけシンプルに、且つ短くと考えていますが、長く、ボリュームが出てしまうのです。
時々、「菅野先生は私のことがわかっているのですか?」と言われることがあります。私には何もわかりません。しかし、神様がすべてご存知であられるので、その方に向けた言葉を与えてくださり、その方に届けてくださるのかもしれません。
神様はあなたを知っておられます。神様はあなたを忘れることがありません。
すべての必要ものを神は与えてくださいます。神様に信頼してださい。
日曜日は教会へ。あるいは、オンライン礼拝をささげてください。
https://sgr-ch.net/
第一礼拝 朝10時30分〜12時
第二礼拝 夕16時30分〜18時
19時から大久保駅北ガ―ド下で路傍伝道を行います。近くの方は参加ください。また、お祈りをよろしくお願いします。
素敵な1日でありますように。
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