
〈5/13(木)本日の一言メッセージ+動画+α〉
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22093 (写真入り記事)
❣「あなたがいる場所が『ベテスダの池』になる」
エルサレムには、ベテスダの池(「憐れみの家」という意味)があります。
言い伝えでは、時々主の使いがこの池に降りて来て、水を動かします。
水が動かされた後に最初に入った人は、どんな病気でもいやされると考えられていました。
あるいは、間欠泉が湧いていたことから、時々水が動いたのかも知れません。
病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せって、水が動くのを待っていました。
ある日イエス様がベテスダの池に来られました。
38年もの間、病気にかかって、伏せっている人を見て、「よくなりたいか?」と聞きました。
当時の平均寿命は40年でした。一生の大半を病気で過ごしたのです。
だから、仕方がありません。
病人は、「よくなりたいです」と答えず、言い訳をしました。
「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです」と。
ここでは、誰もが、「我先に!」と、人を押しのけて、池に飛び込むので、一人取り残されてしまうことに対しての悲しみと怒りを吐き出しました。
しかし、人生がうまくいかないからといって、言い訳をしたり、人のせいにしたとしても何も変わりません。
イエス様は、この人に対して、「そんなことではダメだ!」とは言いませんでした。
憐れみの心で、「よくなりたいのか?」と聞かれました。
イエス様の問いかけを聞いて、心の中に「よくなりたい!」という思いが呼び覚まされました。
それを感じ取ったイエス様は、「起きて、床を取り上げて、歩きなさい!」と命令されました。
病人は立ち上がりました。
ベテスダの池には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者の4種類の人が伏せっていました。
現代にも、体は健康でも、霊的な必要を持った4種類の人たちがいます。
1、〈病人〉・・・自分のしたいことができない状態。正しいことがわかっていても、そうする力がない姿。
「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています」(ローマ7章19節)。
2、〈盲人〉・・・心の目が閉じていて、神の世界が見えず、自分が見えていないことに気づいていない状態。
「イエスは彼らに言われた、『もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。 しかし、今あなたがたが【見える】と言い張るところに、あなたがたの罪がある』」(ヨハネ9条 章41節)。
3、〈足なえ〉・・・決心はするのに、足が思うように動かず、自分で自分をどうすることもできない状態。
4、〈やせ衰えた者〉・・・生きる力、立ち向かっていく勇気がなく、「やせ衰えた」状態。
イエス様は、そんな人に近づいて、「よくなりたいのか?」と聞かれます。
そして、「よくなりたい!」気持ちを引き出し、いやして下さいます。
イエス様は、今日、あなたのところに来て下さいます。
聖書を引用します。
ヨハネの福音書5章
1,その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。
2,さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。
3,その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。
5,そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。
6,イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
7,病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
8,イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
9,すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。
イエス様は、心も体もいやして下さる方です。
あなたがイエス様を受け入れるならば、そこがベテスダの池、憐れみの家となるのです。
🧡【動画メッセージ】
「否定的な結果を期待しないなら」
https://youtu.be/jD14nEczkFw

【経堂駅前 路傍伝道】(後半)
https://youtu.be/hpXEOOq4mZg

「ギターの弦を緩める事と人の安息」
ギター楽器は、値段も手ごろですし、持ち運びがしやすい大きさですし、扱いやすく、庶民的な楽器です。日常的に愛用しています。
ギターの演奏が終わった後には、ギターの弦を緩めることが一般には良いとされています。何しろ、弦を張った状態ではネックに70キロもの張力が常時かかっているからです。しかし、その張力がかかり続けることを前提でギターは作られていますので、緩め過ぎることも良くないですし、毎日演奏するような状況ならば、張りっぱなしの方が良いとも言われます。緩めたり張ったりすることでギター本体にかかるストレスがあるからです。
ギターと人間を比較することは単純にはできませんが、人間も毎日張り詰めた状態で生きている方が、調子がいいものです。一言メッセージを3日や7日に一度準備するのと、毎日準備するのでは、毎日やった方が勢いがつきますし、習慣になりますので楽です。仕事も、不定期な仕事よりも、ルーチンワークの方が楽にできるものです。しかし、それを延々とやり続けると体は疲れて、壊れてしまい、倒れてしまうことになります。聖書は、「6日間仕事をして、1日休みなさい」と語ります。人間を造られた神が言われるのだから間違いありません。演奏後にギターの弦を緩めるように、週に1日は安息日を設けたいものです。また、1日一度の睡眠が必要です。そのために、神は、昼は活動しやすいように太陽をのぼらせ、夜は睡眠のために月という最低限の明かりを与えてくださいました。現代においては、人が寝ている時間に仕事をしている人もいますが、その場合は昼間にしっかり睡眠を取っているはずです。さらに、朝起きて1番に聖書を開き、神に祈り、神に聴く時間が必要です。ギターの弦のテンションを緩めるように、神の前であなた自身を緩め、荷を下ろし、力をいただいてから、神と共に1日をスタートしてください。私も気がつくと、休む時間を惜しんで仕事をし、伝道に出かけてしまいやすいです。そうすると心と体が疲れてしまいます。免疫力が下がって病気になりやすい状態になってしまいます。演奏が終わった後にギターの弦を緩めるように、安息をし、睡眠を取り、休息をし、あなた自身も神の前に自分自身を緩め、荷を下ろす時間を持ってください。仕事をして休むという感覚よりも、休みからスタートして仕事を始めることが大切です。仕事好きな人にも、仕事嫌いな人にも、神は、まず安息を命じておられるからです。今日も素敵な一日でありますように。
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