mixiユーザー(id:1846031)

2021年04月29日23:10

249 view

さようなら、ぼくらの味方/追悼・菊池俊輔さん

■作曲家・菊池俊輔さん、誤嚥性肺炎で死去 89歳 『ドラえもんのうた』『仮面ライダー』など手掛ける
(ORICON NEWS - 2021年04月28日 14:05)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6500506

 TVで『吸血鬼ゴケミドロ』を観ていたら、どこか聞き覚えのあるメロディーがやたら掛かっていたので、これは、と思ったら、やっぱり菊池俊輔さんだった。基本、ホラー映画なんだけれど、音楽を菊池さんが担当すると、怪物よりも改造人間が出てきそうで、でも『仮面ライダー』も初期はホラーテイストだったよなあと妙に納得したものだった。

 今はアニメ・特撮の音楽、主題歌で語られることの多い菊池さんだが、一般ドラマ・映画も数多く手がけている。代表作は『キイハンター』に始まるTBS=東映アクション映画のシリーズで、私たちの世代だと『仮面ライダー』よりも先に『キイハンター』に出逢っているから、菊池さんの名前を聞いて真っ先に思い浮かべるのは、そちらの方なのである。
 もちろん60年代はまだまだ映画のプログラムピクチャーが命脈を保っていた時代で、東映を中心に、菊池さんは数多くのB級アクションの音楽を発表していた。アニメ・特撮を手がけるようになるのは主に70年代になる。

 そう考えると、菊池さんの名前に思い入れを感じるのは、もう50代、60代だろう。ふと鼻歌で口ずさんでいたらそれが菊池節だった、ということは、私たちの世代にはよくあることだ。逆に言えば、若い世代には、菊池俊輔と言われても、どんな人だったのか、ピンと来ないだろうと考えざるを得ない。
 70年代当時、アニソン・特ソンの作曲家と言えば、菊池さんと渡辺宙明、渡辺岳夫の三人が御三家と言ってよかった。他にもアニソンを作曲していた人も決して少なくはなかったが、一部のプロダクションの作品に特化していたり、ほんの数曲に留まったり、「専門」という印象を与える人はこの三人くらいしかいなかった。
 それははっきり言えば、名だたる作曲家は、アニメや特撮などの番組を映画よりも一段低いものに見なしていて、作曲依頼を断っていたからである。要するに、アニメや特撮は「差別」されていたのだ。

 菊池さんも、決して毀誉褒貶から免れていたわけではないだろう。ジャリ向けのつまらん楽曲ばかり作りやがって、と揶揄されていたことも想像に難くない。
 けれども、菊池さんはアニメ・特撮の作曲を止めることはなかった。『ドラえもん』を初めとして、依頼が来れば主題歌の作曲を喜んで引き受けてくれた。それは何より、菊池さんが「子どもの味方」だったからだ。
 ありがとう、という通り一遍の感謝の言葉しか浮かばないのがもどかしい。菊池さんから頂いたものは、間違いなく私たち世代の人間にとって血肉となっている。またカラオケに行ったら(コロナで行けないけど)、菊池ソングを目一杯歌おう。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年04月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930