
〈4/19(月)本日の一言メッセージ〉
「愛せるようになりますように」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/22067 (写真入り記事)
愛と恋は混同しやすい部分があります。
まず恋は、相手のいい部分だけを見て、相手を過大評価します。恋愛結婚をした後に、理想と現実のギャップに気づき、性格の不一致等を理由に離婚に至ることがあります。
では、愛とはなんでしょうか? 愛は、相手のすべてを知った上で、なお変わらずに愛し続けることです。
恋は、「あばたもえくぼ」からはじまります。やがて、「あばたはあばた」であったと気付きます。そのままでいると、「えくぼまでがあばた」に見えて、恋は終わりを告げます。
しかし、愛は、恋が終わったところからスタートします。
恋は、二種類の終わり方をします。
1、 別れる
2、 愛に変わる
多くの場合、別れることで終わります。しかし、恋が終わり、恋を愛に変えることができたら幸いです。
通常、生まれも育ちも違う男女が、一生夫婦として寄り添って生きていくことは奇跡に近いと思います。
何度も何度も、恋が愛に変わる経験をしているはずです。すなわち、相手を許し、あるがままで受け入れる痛みを経験しているはずです。
夫婦関係は、愛を学ぶ道場です。
夫婦関係で鍛えられた人は、鍛えられていない人に比べると、通常の人間関係を円満に持つことができるはずです。
すでに、許すこと、愛すること、受け入れること、相手に譲ること、自分に死ぬことなどの大技をマスターしているからです。
しかし、それらの大技がきかないようなモンスターはどこにでもいます。
どんなに夫婦関係の中で愛の訓練を通されていても、これでゴールということにはなりません。おそらく、愛は一生学び続けなければならいと思います。
私たちは、案外、人の欠点はよく見えるし、わかるものです。しかし、自分の欠点や罪はなかなか見えないし、認めたくありません。
私たちの欠点や罪はなんでしょうか?
愛がない点です。
愛と恋を混同している人は、自分は案外寛容で、愛がある人間だと思うかも知れません。恋をすることは難しくありません。相性のいい人や好きなタイプの人と仲良くすることはできます。しかし、愛せないタイプ、許せないタイプの人は、どこにでも存在します。
聖書は、「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません」(ヨハネの手紙 第一4章20節)と語ります。
愛とは、気に入らないタイプの人でも愛し、祝福を祈ることからはじまります。
「わたし(イエス様)はあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイの福音書5章44節)。
その祈りができるかどうかで、愛があるかどうかがはっきりとわかります。
愛がないのが私たちの本当の姿です。
愛がないことは、人をねたむことでもわかります。
「愛は・・・人をねたみません」(コリント人への手紙第一13章4節)。
ねたみとは、天皇陛下や、総理大臣、大スターなどの雲の上の存在に感じることはまずありません。自分と立場が変わらず、年齢が近く、能力的に近い人が脚光を浴び、賞賛され、成功し、豊かな暮らしをしていること知った時に、ねたみを感じるのです。
ねたみを乗り越えている人は、自分の興味のあるジャンルで、しかも、自分が「こうしたい!」「こうなれたらいい!」と思っていることをしている人が居た時に、祝福し、「よかったね!」と言ってあげられます。
それは、非常に難しいことです。
しかし、愛は、身近な人の幸福や成功を心から喜ぶことです。
そして愛は、相手のあるがままを受け入れることです。
消極的には、気に入らない人の誹謗中傷をしたり、うわさ話をしたり、拒絶したり、無視したり、嫌がったり、否定しないことです。
愛は、そういうところからはじまります。
少しでも愛に生きはじめるなら、その分だけ幸せになります。
聖書を一言で要約するならば、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」という言葉になります。
だから、隣人愛に生きるなら聖書を生きていることになります。
しかし、愛を追求し、愛に生きようと努力すればするほど、「不可能!」というところに行き着くものだと思います。
だから、敵を愛し、十字架の上で赦しを祈ったイエス様が必要なのです。
イエス様に愛を祈り求め、与えられた愛に生きはじめたら、奇跡が起こります。天国の幸せを味わえるようになります。
私たちは、天国の幸せを味わい、その幸せを自分だけではなく、周りの人にも分け与え、ひいては、世界に愛と平和をもたらしていくことにつながります。
世界では、覇権争い、策略を企てての陰湿な争い、血で血を洗うような争い、紛争、戦争が各地で繰り広げられています。やがて日本も巻き込まれる可能性があります。一体どうしたら、憎しみの連鎖を止めることができるでしょうか。
それは、一人の人の愛からはじまっていくのかも知れません。
十字架につけられてもなお、「父よ彼らを赦したまえ。彼らは何をしているのかわからずにいるのです」と、赦しを叫ばれたイエス・キリストの愛こそが、憎しみの連鎖を止め、世界を救うと信じます。
その愛を頂いて、自分が幸せになり、その幸せを分かち合い、幸せな国、幸せな世界を作って行きたいものです。
【動画メッセージ】
「恐れの向こう側にある世界」
https://youtu.be/CGNL_S1k0tQ
【新宿福興教会 主日礼拝】
https://youtu.be/bx7Q_Lj9lJs
【御茶ノ水駅 路傍伝道】
https://youtu.be/P2mBrM6r4hg (前半)

「ジャパン・ハーベスト(宣教団体)」の支援会々員を募集しています。お祈り、ご参加をよろしくお願いします。
https://japan-harvest.org
※人は、自分が自分が生きていたという証を残したいという願望があるのではないかと思います。歴史に残るような偉業を成し遂げた政治家は、銅像が建てられて、ある程度人々の記憶に残ることがあります。人々を魅了し、心に残る歌を歌った歌手、心に残る演技をした俳優や女優は、人々の心に残ります。しかし、それは一時的なものです。イエス様に香油を注いで埋葬の準備をしたベタニアのマリヤはどうでしょうか?
イエス様は、「この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう」(マタイの福音書26章12〜13節)と語られ、何度も説教で取り上げられています。
またイエス様は、「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです」(ヨハネの福音書6章27節)と語られました。つまり、「永遠につながる働きをしなさい」ということです。それは、イエス様があなたに与えられた働きであり、心の動機の問題なのです。
「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」(マタイの福音書6章19〜21節)。
あなたの宝はどこにありますか? この地上にあるでしょうか?天にあるでしょうか?
聖書は、「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい」(コロサイ人への手紙3章2節)と語ります。
天にあるものを思いながら、今日を生きていきましょう。素敵な1日でありますように。
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