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2021年04月15日14:35

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真相「徐福物語」

皆さんは徐福の事を知ってますか。
中国を統一した秦の始皇帝の命により日本に不老長寿の妙薬を求めてやってきた。
しかし徐福がそれを持って帰る前に始皇帝は死んでしまった。そのために徐福は日本から戻らなかった。

この話を元に、徐福が求めた不老長寿の妙薬とは何か、それが今も話題になってます。もちろんそれはなにか。私には明確にわかります。
まずこれを知るには徐福と言う人を知らねばなりません。
徐福は中国山東半島にあった「榔椰台」というところに居ました。
中国を統一した国王は必ずこの榔椰台を訪れて行わなければならない儀式があったのです。このことは中国の古文書「史記」にかいてあります。それは大嘗祭と同じで、臣民の健康を維持するための知識を得るためです。早い話がラジウム石の使い方です。これが「不老長寿の秘訣」だったのです。

ところでこの榔椰台とはどういった所だったのでしょうか。中国の古文書史記によると、山東半島にあった斎の国は「東夷倭国」の民がいたと書いてあります。日本人の事です。そのために徐福は日本人だったのです。徐福は孔子の子孫です。孔子自身も日本人だったという事なのです。
それは高天原から大陸に派遣されていた人たちで、中国の王に生命の秘密を教えて皇帝にするための任務があったのです。健康管理だけではありません。養蚕、鋳造などの技術指導もしていたのです。

ところが始皇帝の態度から、それに怒った徐福一団は父の徐一とともに日本に引き揚げてしまったのです。
一行は徐福の家族以外に各技術者の家族も含まて3000人の大船団で山東半島を出航したのです。ところがすぐに嵐に会い、一行はバラバラになって、高天原のある富士にたどり着いたのはわずか555人だったと富士文献に記録してあります。その全員の名前が書いてあります。
徐福は同時に生命の秘密に関したものを全て持ち去りました。お父さんの徐一はその大事な薬草を。しかし徐一はどこに行ったか行方不明となり、二度と富士には戻りませんでした。重要な不老長寿の妙薬は徐一が持ったままでした。

徐一はどこに。それを4年ほど前に私が解明したのです。徐一は済州島に漂着していたことが判明しました。現地では徐一=徐福と考えられており、徐福は日本ではなく済州島に居たと現地では信じておりました。しかしそこにいたのは本人の署名で「徐一ここに来る」と記されており、済州島に漂着したのはお父さんの徐一であることは間違いありません。
一方徐福は富士にきて富士文献を書いたのでこれも間違いはありません。

人間の生命をつかさどるラジウム石の使い方。これは6000年前からの高天原の教えそのものであったことは今まで私がさんざん言っているのでお分かりでしょう。
そのアイテムの石は富士に保存してあるのですが、薬草は全てお父さんの徐一が持っていたので済州島に残ってます。
(実はこの件で富士にはまだ冬虫夏草が生えている場所があります)
済州島にある済州大学では漢方の研究が世界的レベルで、世界各国から研究性生が来てます。それは済州島が漢方薬の宝庫だからです。その中でも不老長寿の妙薬としてのウチワサボテンの実。これはメキシコ原産で、済州島には「サボテン村」という場所があって一面のサボテンだらけ。メキシコ原産のサボテンがどうして済州島にあるのか謎になってます。一説によるとサボテンの実が海を渡って漂着したと言われてますが、あのぶよぶよの実が海を越えられるわけはありません。誰かが持ち込んだ以外にはあり得ないという事です。それは徐一のやったことでしょう。

このようなことから「不老長寿の妙薬」とは自然放射線持ったラジウム石や薬草の事だったのです。人の命は自然放射線の使い方次第だという事です。
それは6000年前の高天原の時代に天照さんが広めた教えだったのです。

今私はその高天原からの命により、それを皆さんに伝えようとしているのです。
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