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2021年04月03日01:51

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鬼滅

今更ながら鬼滅の刃の「立志編」をやっと見終えた。
「塁編(?)」の後半から面白くなってきて
最後まで二日ぐらいで一気に観てしまった

「絶体絶命からの〜全集中!」はもう
ベスト・キッドで言う「鶴の型」そのもので
おじさんも戦う気満々になるし
これで熱くならない男の子はいないでしょう。
あ、女の子もいないでしょう(ポリコレ

・・と言うジャンプ王道的な戦いもありつつ
敵の背景には大人を黙考させるだけの理由があり、
老若男女問わず人気を博したのも頷ける

おじさん的には炭治郎、善逸、伊之助の三人が
いがみあいながらも段々と仲間になって行く
その過程が微笑ましく、羨ましく感じた
(伊之助が特にすき)

確かに単独作品としてのクオリティは高い。
しかしあれだけの猛烈な社会現象となった背景には
もちろんメディアのバンドワゴンもあるけど、
もっと何か別の要因があるはず・・

そう思ってずっと観ていたけど、そこには
辿り着かなかった(ごめんなさい)
そして鬼滅の刃がブレイクしたのは
世の中がコロナ禍に苛まれて行く最中

炭治郎の戦いと成長を観ながら思ったのは、
コロナ禍の寂寥状況で「みんな観ている」と言う
一体感や連帯感、安心感みたいな集団心理が
作用したのではないか、ということ。
真相はもちろん分からない

人と人との接点がどんどん減って行く
人と人との触れ合いでしか得られない経験の機会が
次々とデジタル化して行く

「家族」とは何だろう
「正義」とは何だろう
「絆」とは何だろう

世の中の子供たちがこの作品を観て、少しでも
そういう抽象的な概念に触れてくれればいいな

抽象的なものが抽象的たる所以は、
人がそれを形造るからだ

人がそれぞれの思いのままに
それを形造ろうとして争ったり、憎み合ったり
分かりあったりして、形造るものだから

その最大公約数が「いわゆる家族」であり
「いわゆる正義」であり、「いわゆる絆」である
本来の形なんて本当はどこにもない。
あくまで作るのは人であり、色んな形が存在する

それらを維持する為には、努力が必要
それは、ブチ切れそうになっても抑える努力だったり
元気よくあいさつをする努力だったり
人によってそれぞれだけど
維持する為の努力を怠ると、大阪城公園の桜のように
あっという間に散ってしまう

そして流れ失ったものを再び形造れるのも
また人である

抽象的なものは「実体」がない
だけど人には欠かせない
人が人である為に、欠かせないものだから
互いに、或いは皆が努力しなければならない。
それが「思いやり」である

友情・努力・勝利!
ジャンプ!
20 11

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