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2021年04月01日03:27

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地獄めぐり

長引くコロナの影響ですっかり沈下してしまった観光・旅行業界だが、この春はさすがに我慢が出来なくなってきたのか人出が回復しつつあるようだ。
まあ、長い期間閉じこもっていれば外出などして気分転換したくなるのは、引きこもりを職業にしている漫画家の自分でもさすがに共感できるので、あまり強くは言いたくないが。
というか、「出るな」と言われたら逆に観光のひとつもしたくなるのが人情だと思う。


観光地で思い出すのが(ある程度の年齢以上の方限定だが)ひなびた温泉地の「秘宝館」と「地獄めぐり」だ。
どちらももう残っているのかわからないが、とりたてて特徴のない観光地で何とか人を呼ぼうと知恵を絞った挙句生み出された施設だ。

実は「地獄めぐり」は意外と歴史が古い。(「秘宝館」の方は自分で調べてもらいたい。)
「地獄~」という施設や地名は日本各所に存在している。
これは、仏教の教えを全国に普及させる過程で「死んだらどうなる? どこへいく?」という人類永遠の命題に僧たちがわかり易く「地獄」という概念を持ち込んで説明したところから始まる。

もちろん当時は文字は限られたエリートのものだったから、口だけでなく絵巻物に描いて説明する必要もあり、これが「地獄絵図」と呼ばれるものの始まりだった。
「仏の教えに反するとこんなひどい世界に落とされる」と説く事で、教えや道徳を人々に認知させていったのだ。
そのうち、ひどい状態や光景や場所や事件をたとえる言葉としても「地獄」が定着する。

そして、現代の日本で同人誌の次にフィギュアが登場してきたように、二次元から3Dの娯楽として「地獄」を体感する施設が戦の記憶が遠のいた江戸時代に登場するのは当然の帰結だった。
薄暗いトンネルなどの回廊に地獄の風景を模し、鬼や亡者の絵や彫刻を配置し、怖いもの見たさの観光客を呼び込んだ。
「血の池地獄」「針の山」などを順番に回ってゆくところから「地獄めぐり」と呼ばれたこの施設、悪趣味ではあったが「仏教の教えを広める」施設だという金看板を押し立てて、全国に作られていった。

先ほどもちょっと触れたが、あまり死が日常に近くない時代にしかこういった施設は作られない。明治維新以降、太平洋戦争が終わってしばらく経つまで人々から忘れられていた。
そして昭和の高度成長期、また人々が気軽に旅行する時代になり、客寄せの「地獄めぐり」が復活する。
まあ、大多数は垢ぬけないセンスで、海外からどんどん流入してくる新しい文物に押されてそのままひっそりと埃をかぶっていったのだが。


実は何をとち狂ったか、これを町おこしの巨大テーマパークで作ってしまった例がある。
しかも東京のとなり、千葉県で。
大規模観光施設として正面の門の脇で閻魔大王の像が出迎え、血の池のプールで亡者の気分を味わったり、鬼にボールを当てるアトラクション等や、鬼が亡者を折檻する舞台を見物しながらの食事処などが営業されていた。

さすがに長続きはせず、その跡地は屋内スキー場になったり現在はショッピングモールとして当時の面影は残していないが。

東京近辺に当時住んでいた方ならTVCMも覚えておられるだろうと思う。
『♪船橋HELLSセンター船橋HELLSセンター(亡者が血の池で漂うアニメーション)
長生きしたけりゃちょっとおいで
チョチョンのパ(ここで首を跳ね飛ばされるアニメーション)、チョチョンのパ♪』


・・・・・・お後がよろしいようで。







今回はちょっとローカルすぎたなw
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