ライズアップジャパン事務局 (info@kamijimayoshiro.jp) より
真珠湾攻撃によって世界大戦の火蓋が切られてから、79年が経ちましたが、今でもあの戦争は、日本にとって「無謀な戦争だった」と言われつづけています。
ですが、日本は本当に勝つ可能性がなかったのでしょうか?
実は、ある選択を間違えなければ、日本は勝つ可能性が十分にあったのです。
英国首相のチャーチルや、ウェデマイヤー米国将軍は、自身の回顧録にて「日本が勝者となれる唯一のチャンスは独ソ戦勃発時にソ連を攻撃し、ドイツと組んで挟み撃ちにすること」
このように述べていました。
そして、これはあまり知られていないことですが、日本はソ連と戦うために準備をしていたのです。
ドイツとソ連の戦争が始まった時、松岡洋右外相は、「ソ連へ攻め入り、ドイツと共にソ連を東西から挟み撃ちにするべし」と天皇陛下に上奏しており、陸軍省と参謀本部との間で51万人を対ソ連戦のために新たに動員する協議がまとまり、天皇陛下の裁可もおりていました。
なのになぜ、ソ連を攻めることなく、日本は南へ向かったのでしょうか?
当時の日本では、ソ連を攻めるべきか、南へ降りて行って米国との戦いも想定に入れるのか何度も議論されていました。
ですが、このような混乱の最中であるにもかかわらず、当時の総理大臣である近衛文麿は近衛内閣を総辞職したのです。
そして、総辞職からわずか2日後にソ連戦に向けて準備をしていた松岡洋右を内閣から追放したのです。
なぜ近衛内閣はソ連戦を拒み、よりにもよって南進を決定し、米国との全面戦争に向かう道を選択してしまったのでしょうか?
この不可解な出来事を読み解くためには、日本政府内にいた「売国奴」が何を画策していたのか?を軸に歴史を振り返ることで、今まで誰も触れてこなかった真実が浮かび上がってくるのです。
それは一体何なのか?
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近衛文麿は旧ソ連のスパイだと言われているから?
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