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2021年03月11日20:23

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大震災から10年

 こんばんは、Nagawa2000です。東日本大震災から、10年がたちましたね。あの日、Nagawa2000は、東京都港区で働いていました。次の作業の準備をしているときに……。いままで、体験したことのない、激しい揺れが!!。先輩方が「外に出ろ!!」と大声で叫んでいたので、屋外に出ると、高層ビルや、タワーマンションが、長いコンニャクのように、しなっていました。「ええええ、マジ!?」また、駐車場に止めてある、自動車が、撥ねていました。もう、立てないほど……。近所の方々も、大勢の人が、屋外に飛び出してきて、周辺は大騒ぎでした……。激しく大きな揺れがおさまり、建屋の中に入ると…………。工具や道具、薬液等が散乱していました。また、取引先とも連絡が、当然つかず……。その日の作業は、終了……。(もはや、作業どころではない。当然か……。)
 近くの、運河の潮位が下がっているのが、わかりました。もう、近所はパニック!! TVの情報が頼りでした。東北地方の太平洋側は……。

 23時ころまで、職場がある建物にとどまっていました。交通機関は動いていないようでしたが、23:00頃から、地下鉄が運転するということで、最寄りの地下鉄の駅に行きましたが、もう、地下鉄駅の地上入り口に、多くの人々が殺到して、身動きが取れないがほどでした。しょうがないので、長丁場になりますが、歩いて帰ろうと思いました。ふと、自分のアパートに帰るよりも、両親が住む実家のある街のほうが近い、ゆえに、実家に向かうことにしました。実家には、電話がつながらず……。両親の安否も、分からず……。コンビニに食料ほぼなく、寒い日でしたので、アイスと飴が、かろうじて売れ残っていいました。アイス2個とキャンディを購入。実家を目指して、ひたすら歩きました。幹線道路は、深夜2:00でも、大渋滞、路線バスも、深夜にもかかわらず、超満員で走っていました。幹線道路沿いは、人や自転車、クルマが多いので、海沿い(運河沿い)の遊歩道を歩きました。今、考えてみると、非常に危険な沿岸部を歩いていたのは、危険極まりない(^^;;;(滝汗)。夜明け前に実家にたどり着きました。
 
 両親は健在でした。クタクタに疲れたので、実家に着くや否や、寝てしまいました。

 (つづく)
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