いつもと同じコース。体育館の裏を通り大門へ抜けるあたりで広報無線の放送があり、
東北大震災の発生時刻を告げる放送でした。それぞれの場所で黙祷を捧げてくださいとの
事でしたので、花ちゃんは黙祷は無理ですから、私一人だけで黙祷しました。亡くなられた方への哀悼の意と、今後の更なる復興へ祈念いたしました。
帰り道、小学校の裏の空き地に建っている「明徳報徳」の石碑の内容を確認してきました
100年前の先人たちの事蹟を石碑に残してあるのも凄いなと感じますね。
報徳報本社跡 の説明書き
二宮尊徳の教えである報徳主義を譲受していた安居院義道庄七の指導により嘉永五年(1852)森町村の山中里助(新村里助・豊作)は後の報本社に発展していく森町報徳社を創立した。翌嘉永六年(1853)山中里助・中村常蔵が遠州報徳先賢七人衆の一員として、日光の二宮尊徳を訪ね、約一か月滞在して尊徳の直接指導と遠州三十余社の結社の允許を得た。
明治五年(1873)岡田佐平治が遠江國報徳社を結成するに伴い里三郎は森町報徳社外
岡志の社とともに遠譲社を脱退して遠江國報徳社に所属し幹事の一員となった。
明治十二年(1879)里三郎死亡。二代目里三郎(新村里助の養子)に周智郡同志と諮り周智報徳社を組織してその会長となった。
明治二十八年(1895)森町報徳社社長新村里三郎(新村里助の養子)は無利息貸付制度を全廃した遠江國報徳社から退社、これに同調して退社した二十五社と総本社を結成し
社長となった。
明治三十一念(1898)民放施行に伴い、社団法人認可手続き申請を行い、翌年認可された。
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