天明六年頃に奥州白河の秋葉講一行が旅の様子を綴った道中記。現在東京都赤坂に済む川野
氏の故郷白河で発見した道中記である。同氏の好意にて記録することが出来た。
掛川〜秋葉山〜鳳来寺〜御油 全道程三十七里余 三月半位で踏破
天明六年(1786)森〜四十八瀬川(三倉川)〜三倉(家数少なく山坂ばかり)〜阿部(安部)茶が出る〜一の瀬(昼食)〜小奈良安〜犬居(四十戸余り)
寛政に年(1790)森(四つ AM 10:00 )〜増水のため高瀬まで駕籠、一人三百吾十文
三倉では三倉久衛門の故事を書いている注記1。坂下(わんや泊り)
二日目 秋葉山に登る。この日は熊村の吉田屋に泊まる。
注記1 三倉久右衛門は、徳川家康公が合戦で追われ、三倉宅に隠れた。無事に敵をやり過ごせたために、目通り五十石をくだされた。今は無役、道中鞍馬道具御免であると相応に
暮らしていた。
{道中記}
掛川へ 日坂より二十九丁。 城主太田備後守五万五千石、良き町なり。三日泊、米八十八文、木百十文、山口屋駿兵衛。
掛川より森へ 五十丁(遠し)、三里。山坂なり。細道なり。近道共あり。入口に森川あり。泊りに良き宿あり。これより四十八瀬川といい、渇水故いずれも橋ばかりなり。
阿部(安部)茶この辺より出るよし。
一の瀬へ半里、家数五・六軒あり。昼食とする。四十八瀬川もここまでである。
江戸時代の郁は詣でののんびり日記でした。
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