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2021年03月07日09:31

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私の出会った素晴らしいカフェ

はい、こちらコーヒーとカフェ大好き葉桜です。

休日に友人と行動を共にしたときなどは「大変だ!私はもう●時間コーヒーを飲んでいない!」と騒ぎ、午後2〜3時の間に「これは参った!カフェイン切れだ!」などと喚き、相手に「じゃあカフェに行きましょう」と言わせるように仕向けるのがいつものやり口だ。
そもそも20代後半を越えてからは、数時間に一度、座ってコーヒー休憩を設けないと体が持たないのである。

カフェ好き歴も10年以上になるので、いろんなカフェに行ってきた。
今回は私の人生のなかで出会ったカフェのなかでも最も素晴らしいカフェをご紹介したいと思う。


数年前の春。私は友人、サエ(仮名)に誘われ、とあるカフェ『B』に行く約束をした。
サエから食べログ情報を送ってもらったが、評価も申し分ない。
初めて行くカフェに、私は心を躍らせた。


食べログによれば、11時オープンとのことだったので、私たちはオープンと同時に入れるよう、11時に店へ着くよう向かった。
そのカフェへ行く途中、人の良さそうな別のカフェのおばちゃんから「おはようございます。よかったらお茶どうですか?」と声をかけてもらったが、今回は予定していたカフェ『B』に行くつもりだったので、丁重に辞退した。


店の前で、若い女性店員さんが清掃をしていた。
開店前には、店の周囲の清掃を行き届かせている。衛生、清潔あってこその飲食店。
なんと素晴らしいカフェであろうか。


店員さんが私たちに気づき、声をかけてくれた。


店員「あ、まだッス」


ネットによれば開店は11時のはずである。
そして時計上では確実に11時は過ぎている。
なるほど。「ネットに書いていることをすべて鵜呑みにしてはいけない」と身をもって私たちに教えてくれているらしい。「自分の眼で見たものこそ、真実である」と。
確かにそのとおりだ。情報社会の中、私たち現代人はなにか大切なことを忘れていたのかもしれない。
学校を卒業し、社会人となって数年、なにかを教わる機会と言うのは年々減っているものである。
なんと素晴らしいカフェであろうか。


天気もよかったので、そのカフェの周囲を10分少々散歩した。
暖かな気候の散歩は心地よい。
それもあのカフェの粋な計らいに違いない。
なんと素晴らしいカフェであろうか。


サエから「もういい加減、入れてもらおうよ」と言われ、私たちは再びそのカフェの前まで来た。
店員さんは清掃を終え、店の前には「OPEN」と書かれた看板が立てかけられている。
これぞ、『自分の眼で見た真実』
店員さんは私たちに「お待たせしてすみません」などと無駄口を叩くことなく、「二階席に行って下さい」と声をかけた。
私が新社会人だったとき、院長から渡された『接遇の本』によれば、こういう場面では「〜してください」では命令形になるので「お二階へどうぞ」と言うべき、と書かれてあったが、よく考えてみればあの接遇の本はもう10年ほど前の情報である。
マナーや知識は日進月歩。10年前の常識は現代の非常識となっていることも少なくないはずだ。
最新の接遇を取り入れているカフェ店員。
なんと素晴らしいカフェであろうか。


私たちが言われたとおり、2階へ向かう途中、店員さんの大きなため息が聞こえた。
いや、これはきっとため息などではない。深呼吸だ。
深い呼吸は神経をリラックスさせ、自律神経を整える。
仕事前にそれを実行し、より高い質の仕事を提供してくれるつもりなのであろう。
私も見習わなくてはならない。
なんと素晴らしいカフェであろうか。


私たちは2階に行き、メニューを眺めながら店員さんを待った。
優柔不断なサエが『豆腐のラザニア』と『牛スジとチーズの焼きカレー』で迷い、熟考の末、やっと食べたいものを決めてから数分たっても、まだ店員さんは来なかった。
机の上には呼び出しボタンのようなものは置かれていない。
「そもそも待っていれば店員さんが来るのだろうか?」
「まさか2階にいる私たちの存在が忘れられてはいないか」
「この店はメニューが決まったら2階から1階へ降りていって店員さんを呼びに行くスタイルなのだろうか」
そんな心配が脳裏に浮かび始めた頃、店員さんが非常に大きな足音と共に現れた。
まさにベストタイミング。
こんなハラハラドキドキしたエンターテイメントまで提供してくれるというのか。
なんと素晴らしいカフェであろうか。


私は『キノコのヘルシーどんぶり』、サエは『豆腐のラザニア』を注文した。
店員さんは注文を繰り返すなどと言う二度手間に時間はとらず、無言で脱兎のごとく1階へ降りていった。
なんたる迅速な仕事ぶり。
なんと素晴らしいカフェであろうか。


まもなくして店員さんがお冷とお絞りを持ってくれた。
なぜかさっきから無性に喉が渇いていたので、お冷の存在は非常にありがたかった。
店員さんはものすごい勢いでお冷のグラスを机に叩き付けた。
店内に「ゴィンッ!!」だの「ガツンッ!!」だのといった爆音が響き渡る。
それなのに、グラスは傷ひとつついていない。
店員さんも一流なら、食器も一流ということだろう。
なんと素晴らしいカフェであろうか。


お料理を待つ間、ふとメニューを見ると『オーガニックコーヒー』と言う文字がある。
ふむ、先述のとおり、コーヒーは好きだ。
お料理が届いたら追加注文をお願いしようかと思ったが、その下に
『ドリンクは必ず料理とご一緒にご注文ください』と書いてあった。

先ほど店員さんに料理名を伝えた途端、「as soon asは『〜するやいなや』という意味の熟語である」と思わず中学英語を思い出すくらいの速度で消え去ってしまわれたのだが、コーヒーが飲みたければ、よほどの瞬発力が必要である、ということだろう。
迅速な判断は人生において必要事項だ。カフェで鍛えることができるなんて、こんなありがたいことがあるだろうか。
なんと素晴らしいカフェであろうか。

それに、先ほどから「このカフェは素晴らしすぎて私には恐れ多い」という想いからなのか、「早くこのカフェを出たい」という気持ちが泉のように湧き上がってきているのでちょうどよい。
危ない危ない。食後のコーヒーなど飲んでいたら、滞在時間があと10分追加されてしまうところであった。私たちが正確な判断ができるよう配慮してくれたに違いない。
なんと素晴らしいカフェであろうか。


運ばれてきた料理は、なかなかに美味であった。
あまりにも料理が美味しいせいなのか、(理由は皆目検討がつかないのだが)「早くこのカフェを出たい」という気持ちが、時間が経てば経つほどにジワジワと大きくなってきているせいなのか、遅食いで有名な私の箸は近年まれにみるほどの速度で進み、あっというまに料理を完食してしまった。
ラザニアが熱いのか、ゆっくりと料理を口に運ぶサエにイラつきさえ覚えるほどだった。
長年連れ添った友人との関係さえ変えてしまうほどの出来事などそうそう起こるものではない。
人生を変える場所、とはこういう場所のことなのか。
なんと素晴らしいカフェであろうか。


サエが料理を食べ終えたと同時に、私は「もう出ようか」と声をかけた。
言うまでもないが、こんな素晴らしいカフェに葉桜のような低俗な人間がこれ以上滞在してはならぬ、という強い使命感を燃やしているからである。
これだけ素晴らしい接客を見せてくれた店員さんが会計時に手間取らぬよう、会計は金額ちょうどにそろえて差し上げたかったのだが、生憎小銭を持ち合わせておらず、私は1万円を店員さんへ渡した。
店員さんは当然のごとく、おつりをトレイに激しい勢いで叩き付けてくださった。
勢いのあまり、小銭はトレイの上で数回くるくると回った。
「金は天下のまわりもの」とでもいうのだろうか。
大層粋な演出である。
なんと素晴らしいカフェであろうか。


店を出た瞬間、なんともいえぬ爽快感が体を駆け巡った。
憑き物がとれたような感覚とはこういうことをいうのだろうか。
とても劣悪な環境から逃げ出せたような、すがすがしい気分である。
ふと、あの店に入る前に声をかけてくれた、別のカフェの人の良さそうなおばちゃんの笑顔が頭をよぎり、何故か目に涙が浮かんだ。
こんな感動、もう何年も味わっていない。
なんと素晴らしいカフェであろうか。


あれ以来、このカフェを訪れていないということは、言うまでもない。

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